人間は働くのが当たり前だ、大人になったなら働かなくていけないんだ、そう考えている人がほとんどだろう。
それが世間での常識、社会に生きる人々の共通認識なのではないか。
目次
みんな本当は働きたくないのに、無理して、それが当たり前のように仕事をしている
しかし自分は、人間は必ずしも働く必要が無い、と考えている。
働くことが人生において大きなウェイトを占めていることに、少なからず違和感を抱えているのだ。

〈あなたはどうして働くのですか?〉と問われた時、多分はほとんどの人は生きるためだと答えるだろう。
生きるのにはお金が必要だし、お金を得るためには働かなくてはならない。
中には、仕事自体が楽しいからだとか、それが人生の意味、人間の本分だからとか答える人もいるだろう。いや、それはまことにもって健全な思想だと思うし、理想的な心理状態であるとは思う。
しかしそうではない人がいるのだ。
働きたくない、仕事に行くのが嫌で嫌で堪らないという人がいるのだ。いや、そういう人の方が多いのではないかと思う。
自分も仕事へ行く前には、いつだって〈死んでしまいたい〉〈いっそ殺してくれ〉と考えては、ただただ絶望している。

では自分も含めた、そういった人たちが嫌な思いをしてまでなぜ働いているのかと言えば、それはやはり先に述べたように、生きるためだ。生きるのに必要なお金を稼ぐためだ。
生きるのにはお金が必要だから、嫌な思いをしてまで働く。
働くに際して嫌な思いをするのは当たり前で、だから対価として金銭を受け取ることができる、と広く認識されているのだろう。
仕事は嫌な物だ、大変で当たり前だ、という強迫観念さえある。
仕事が嫌で嫌で堪らない人は、それでも、お金が必要だから働く。
過酷な労働状況や、繁雑な人間関係に煩わされながら働く。
精神的負荷を抱え、ストレスを蓄積させ、身体に支障を来たし、やがて心までをも壊しながら、それでもなお働くことから逃れられない。最悪の場合、死に至るわけだ。
〈生きるために働く〉のではなく、〈働くために生きている〉みたいになってしまっている
おかしくはないか?
よく考えてみて欲しい。人間は元々何のために働いているのだったろうか。
そう、生きるためである。
生きるためにはお金が必要で、だから働いていたはずである。
生きるための行為で、心身を壊したり、最悪の場合は死に至ったりする。
おかしな話である。本末転倒というやつだ。

〈生きるために頑張った結果、死んでしまった〉――こんなにも馬鹿馬鹿しく、嘆かわしい話もあるまい。
元々は、〈生きるために〉働いていたはずなのに、いつの間に、〈働くために〉生きているみたいになっているではないか。
悲しいのは、そのことに気付いてさえいない者が大半であるということだ。
ほとんどの者が、それについて疑問を持つという選択肢さえ与えられずに過ごすしかなかったということだ。
人間は狂ってきている
人間はどこか狂ってきている。
元々は一介の動物であったはずだ。
動物であったことを忘れて、神にでもなったつもりだろうか。

すべての物を創り出し、すべての智慧を収蔵し、すべての世界を掌握しないと気が済まないのだろうか。
文明を構築し、文化を発展させ、より先進的に進化を遂げるのが必然であると考えている節がある。
より遠い地へと到達しなければならないと信じて疑わない。
ただ健やかに生きているだけでは良しとしない。満足できない。
他者を出し抜き、自分が一番高い所から、一番美しい景色を見ないと気が済まない。
そういった傲りが、思い違いが、凄惨な争いや社会的な格差を生んでいるのではないか。
話が飛躍したが、労働状況の過酷化も、そういった人間の抱え持つエゴがもたらした弊害の一端であるように思う。特に日本人の働き方はおかしい。
働くことに、心と身体を壊してまで続けるほどの価値なんか無い
だから今あなたがもし、働くのが嫌で嫌で堪らない、心と身体とが壊れかけた状態にある、というならば、今すぐ、働くのを辞めるべきだ。
もちろん、お金の問題があるから、簡単に言ってくれるなと思うかもしれないが、あなたの心と身体とは、お金には代えられない物なのだ。
あなたの経済状況よりもまず先に健全でなくてはならない物なのだ。
あなたの健全な心と身体とがあって初めて、お金にも価値が生まれるのだ。

もしも頼れる誰かがいるならば、頼ったら良い。
どうしても仕事ができる状態じゃないんだと説明して、理解してもらうことに努めるべきだ。両親が健在ならば実家に帰るのが良いだろうし、身を寄せることのできる知人がいるならそうするのも良いだろう。
とにかく、心身を壊してまで働く意味なんて無いのだ。
働くという行為に、そこまでの価値は無いのだ。働くということは、決して尊いばかりの行為ではない。
働かなくてはいけないと、みなが勝手に勘違いしているだけで、
働く必要が無いのならば、あるいは働くことのできる状況でないのならば、働かなくとも良いのだ。

そうして働かないで過ごし、例えば、ただ空を見上げたり、雲の流れるのをぼんやりと眺めたり、
風に誘われるままにどこかへと出掛けてみたり、夜には星の瞬くのを数えたりして、
自然へと回帰するように、一介の動物として時の流れるのを重ね、もしもそれにも飽きて、
その時に心と身体とが快復していたら、もう一度働いてみても良いかなと思えることがあったなら、また働けば良い。
あなたの心と身体とが〈働きたい!〉と疼き出した時に、働いたなら良い。
人間も動物なのだから、心のまま、時には本能的に、感情的に行為しよう
人間は動物だから、自らの感情を押し隠して、心を殺して、機械的に仕事をし続けることなんてできないのだ。
そういう作りになっていないのだ。
時には感情を発露させて、動物的に、野性的に行為しなければ支障を来たすのは当たり前なのだ。

自分は、幸いにもまだ健全な精神と肉体とを保持していると自覚しているので、独り働いていくことを続けてみようと思う。
しかしもし将来、働くことをせずに、風の吹くまま、心の赴くまま自由に生きてゆくことができたなら、こんなにも素晴らしいことは無い。
その日の予定をその日に決め、心の赴くままに行動し、行きたいところへと訪れ、食べたいものを食べたいだけ食べて、会いたい人に会う。
そんな毎日が過ごせたならなんて素敵だろう。
この記事を読んでくれたあなたが、〈働いている〉のと〈働いていない〉のとに関わらず、
心身共に健やかな毎日を過ごし、ハッピーな人生を送ることができるよう、ささやかながら願うばかりだ。
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