小説を書き始めるきっかけ




小説を書き始めるきっかけはなんだって良い。人によって違うだろう。

元々本を読むのが好きで自分も書いてみたくなったとか、面白い話を考えるのや空想や妄想するのが好きで、それを文章にして人に読ませてみたらウケが良かったとか、色々あるのだと思う。

果たして自分の場合はどうだったか、少し昔を思い出してみる。

やりたいことなど何も無かった

小説を書き始める前、自分はただ生きているだけだった。

目的も目標も無く、やりたいことや夢があるわけでもなく、ただ毎日を無為に過ごしていた。

時間を忘れるほど何かに熱中したり、没頭できる趣味があったわけでもない。ただ働いては休日を迎え、休日を消費してはまた仕事に向かった。

どこまでも作業的に、制御されたロボットの様に、日々のルーティンを繰り返しているだけだった。生きながらにして死んでいたのだ。

今考えてみるとなんてつまらない人生なんだと思う。あの頃の生活が続いていたらと思うと空恐ろしい。

毎日に特段大きな不満があるわけではないのに、どこか満たされない。そんなもやもやとした気持ちを抱えながら、ずっと霧の中を歩いていたような感覚だった。

何かはきっと欠けているが、果たして何が欠けているのか自分でもわからない。

欠けていることだけは確かなのだけれど、何をすれば良いかわからない。どう動いたら良いのかわからない。そんなわだかまりを心の内にずっと孕ませていたように思う。

深く傷付いたことがきっかけになった

きっかけは唐突に訪れた。

自分には誇れるものが無い、何も持ち合わせていないと自覚させられて悲しい思いをするという事件が起きた。

他人との関係の中で、自らの無力さと無価値を悟らされることになった。自分は人の人生に介入したり助けてやったりする資格さえ無いのだと思わされた。

持たざる者であるという自覚は自らを苛んで貶(おとし)めた。打ちひしがれて、何かをする気が起きなくなった。

自分の性格だったらそのまま再起不能になってもおかしくはなかったが、しかし不思議なもので、程無く、このままでは駄目だという思いが湧いて出て来た。

自らの置かれている環境を変えたくて、変えなくてはいけないと思って、本当に好きなことをし、それに価値を持たせるような方策を取らなければならないと考え始めた。



言葉や、文章によって表現することの素晴らしさに気が付く

自分は口下手だったが、その反動かどうか、想いや感覚を文章の形にして表現することが好きであると気付いた瞬間があった。多分、携帯電話のメールを打っていた時か何かだったと思う。

また口下手である反面、親しい者の前では口がよく滑り、言葉によって表現することに愉しさを覚えていることも自覚していた。

自分は〈言葉〉が好きなのかもしれない。想いや感覚を〈文章〉にして表現することに喜びを覚える体質なのかもしれない。そういう風に考えたのである。

そうであるならば一度本気を出して、自分の好きなことに取り組んでみよう。〈文章〉を書くこと、〈言葉〉を武器にして戦うことに挑戦してみよう。真剣に取り組んでみた先に、そのことへどの程度の価値が付与されるものなのか試してみよう。駄目で元々、やるだけのことをやってみて駄目だったならそれで良い。またその時に考えよう――そう思ったのである。

思えばそれが、自分が小説を書くことになるきっかけだった。

その瞬間に出会うまでは辛いことも多かったが、おかげで救われたし、全てのことに意味はあるのだと思えるようになった。無駄だった経験など一つも無かったのだと喜んだ。

きっかけは、悲しいことや辛いことでも良い

自分の様に、良くないことや悲しい出来事がきっかけで、小説を書き始めた者はどれくらいいるだろうか。想像するに、嬉しい気持ちや楽しかった出来事をきっかけにして書き始めた者の方が多いのではないか。

しかし自分は嘆くことも遜(へりくだ)ることもない。なぜなら、辛い出来事を経験してきた者が書いた文章には、人の心を汲んで推し量ることができるだけの優しさで満たされているはずだから。

悲しい想いを乗り越えてきた者が書いた物語には、人の心をやわらかに包み込んで赦す、労りの色が湛えられていっぱいになっているはずだから。

だから小説を書くきっかけは、必ずしも嬉しかったことや楽しかったことでなくとも良いのだ。

どんなことをきっかけにしても良い、小説を書く者が、もっと増えたなら良いのにと思う。

小説を書くことがきっと、過ちを赦してその傷や痛みを和らげてくれることになるから。

どんな悲しみや悔恨さえ物語へと昇華させて、すべての者の人生と生命とを肯定してくれるのだと思うから。

(『小説が書きたくなる瞬間』)



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