一見にしただけでは双方に大きな違いはないように思われるが、いやなかなかどうして、両者は天と地ほども違う。
あなたがもし、〈小説家になりたい〉なら
もしあなたが小説家になりたくて、小説を書いているのだとしたら、それが叶えられるのはひょっとすると難しいかもしれない。
小説家という肩書きに憧れ、そこからイメージさせられること――例えば働かなくてもお金が稼げそうだとか、なんとなくミステリアスでカッコいい感じがするだとか、
そんな風なことを一番の望みにして小説を書いているのだとしたら、それはあまりに安直であると言わざるを得ない。

いや、きっかけや入り口はそれで良いのだと思うが、もしも本当にそれだけなら、きっと続けることはできないだろう。
小説家というのは多分、書くのが楽しくて堪らない人、書きたくて書きたくて書かずにはいられない人、呼吸するように文章を書き続けることのできる人がなるのだと思う。
つまり、〈小説を書きたい〉人がなるのだ。
〈小説を書きたい〉人は小説家になることができると思うし、〈小説家になりたい〉人とはまるで違う。小説家になりたい人は、小説を書きたいというわけではないのだから。
〈小説を書きたい〉人は、きっと小説家になれる
〈小説を書きたい〉人は、小説を書き続けるだろう。
誰に頼まれずとも書くだろうし、書くのを辞めろと言われてもそうすることはないだろう。例え書いたものを他人に悪く言われたとしても、誰にも読まれなくとも、書くのを辞めないに違いない。

小説家になることを目標にしているわけではないし、お金を稼ぎたくてそうしているわけでもない。
なにか達成し難い目標を定めて書いているわけではなく、日々の営みとして小説を書き続けているだけだから、それは飽きずに長く継続させられるはずである。人がみな生きている間はずっと歯を磨いたり風呂に入ったりしているのと同じだ。
そうして小説を書き続けている内に、いつの間にか小説家になっていたということがあるだろう。
作品がなんらかの形で誰かの目に留まって、デビューしていたということがあるだろう。世に活躍している作家諸氏の中にはそういう者も多いのではないか。
理由はどうであれ、小説を書くことは素晴らしいことである
〈小説家になりたい〉者は多いが、〈小説を書きたい〉者は実はそれほど多くいないのではないかと思うことがある。
〈小説家になりたい〉と標榜している者の多くが、小説を書くのに疲弊したり書くことが思い付かないと嘆いているのを目にすることがある。
〈小説家になりたい〉と思う者が多いのも無理はない。
それくらい、〈小説家〉という肩書きには甘美で蠱惑的な魅力がある。
他の職業にはない、不可思議な吸引力がある。
幼い女の子がアイドルに憧れるのや、男の子が野球選手に憧れるのと、〈人間〉という動物が小説家に憧れるのは似ている気がする。

〈小説家になりたい〉と思うのは悪いことではない。もっとたくさんの人間が〈小説家になる〉ことを目指したら良いと思う。
先に述べたように、〈小説を書きたい〉わけでもないのに小説家になるのを目指すことは酷く困難であるとは思うが。
それでも小説家になりたい!
しかし〈小説を書きたい〉わけでもないのに、〈小説家になりたい〉という目標を達成することができた者がいたとすれば、それは讃えられて然るべき功績である。〈小説を書きたい〉わけでなくとも、〈小説家になる〉ことは可能であると、証明してみせたわけだから。
〈小説を書きたい〉人と〈小説家になりたい〉人、どちらが偉いだとか凄いだとか言っているわけではない。
単純に、〈小説を書きたい〉人は小説家になりやすいだろうし、〈小説家になりたい〉人が容易に小説家になることはないだろうと考えているだけである。願望や欲望は人の自由だ。
偉そうにつらつらと述べてきたが、筆者自身が〈小説を書きたい〉側の人間なのか、〈小説家になりたい〉側の人間なのかということは明言しないでおく。
自分はただ、一人でも多くの〈小説を書きたい〉人と〈小説家になりたい〉人とが、小説家になることができたなら良いと、世界の片隅で願うばかりだ。
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