嫌なことがあったら小説にしてしまえ




あなたが日々の暮らす中で、もしも嫌なことがあったなら小説にしてしまえば良い。

嬉しかったことや楽しかったことをネタにして小説にする者は多いと思うが、良くない出来事をそのように利用する者はそう多くないのではないか。

悲しい想いや辛い思いをしたことが、文章表現を豊かにさせる

悪い出来事や嫌な思い出こそ、小説のネタにして昇華させてやるべきだ。

悲しい思いをしたことや辛い思いをしたことが、小説を書くのに役立ったと思えば、得した気分になる。嫌なことがあって良かったと思えてくるようになる。

艱難辛苦に見舞われる人生を送ることで、より多くの小説が書ける算段になる。物は考えようだ。

例えば学校で、職場で、イヤな奴に出会ったとする。

口が悪いとか態度が気に食わないとか、理由は何だって良い。その憎しみを利用して、キャラクターに仕立て上げてしまえば良いのだ。

自分が言われた悪口や、された腹立たしい行為などを思い浮かべてキャラクターに反映させる。

具体的なモデルを元にして創られ、自らが被った生々しい感情をよく投影させたそのキャラクターは、実にみずみずしくリアルな人物として小説内で活躍してくれるに違いない。

例えば親しい友人や恋人、家族を失くしたとする。

その深い悲しみ、負った傷は、生半可なことで癒されることはないだろう。

しかし時の流れは徐々に悲しみや痛みを和らげて、それと向き合うことを可能にさせてくれるはずだ。

そうなった時、悲しみや喪失感、あるいは失くしてしまった存在その物が浮かばれるために、小説を書いてみてはどうだろうか。

深い悲しみや負った傷の痛みはあなたの感受性を高めさせ、表情豊かな筆致へと現れて報われるに違いない。

そういう者の書いた文章はやさしさや慈しみが滲み出ていると思うし、読む人の心を打って動かすことができるのだと思う。



辛いのを無理してまで表現しなくて良い。いつか書きたいと思える時が来る

嫌なことを小説へと変換させていくのにはエネルギーが要るだろう。

思い出すのだって嫌だ、辛いという者もいるに違いない。

嬉しかったことや楽しかったことを小説にするのに比べて、確かにそれには困難が付きまとうのだと思う。そのことを心に思い浮かべるだけで体調が悪くなったり、生活に支障が出たりする者もいるかもしれない。

だから無理して、それと向き合わなくても良い。

傷が癒え、悲しみが和らいだ時にそうすれば良い。そんなこともあったねと、笑って話せるようになった時にそうしたなら良い。

そうなってゆくのには、きっと時間が手助けしてくれる。永い永い時間が経過して、いつかそのことを小説にして書いてみようと思えた時、それはきっと傷が完治しかけている時だ。

小説のネタになると思って、日々の困難を迎え入れてやろう

日々を送ってゆくのには悲しみや哀しみが付きまとう。

自分という人間がいる以上、存在する世界がその営みを繰り返していく以上、それからは逃れられないのだと思う。

しかし悲しみや哀しみがあるおかげで、嬉しいことや楽しいことに出会った時、それへの喜びが輝きを放って受け容れられるのだ。

嬉しいことや楽しいことがあるだけでは、きっと人間は生きてゆけない。

人間の傲慢には、悲しみや哀しみがあるくらいでちょうど良いのだ。

夜があるおかげで朝日の明るさをありがたく思うことができるし、冬の陰の寒さは太陽の温かさを教えてくれる。

だから今日も生きてゆこう。

悲しみや哀しみに出会う瞬間を待ちわびて〈小説にしてやるからな、覚悟しろよ!〉と息巻いていこう。

悲しみや哀しみに撫ぜられながら、冬の陰の寒さを抱き締めながら、小説を書いて春を待てば良いじゃないか。

(『小説を書き始めるきっかけ』)



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