理想の小説とは?――神話のように、永く読み継がれる物語とファイナルファンタジー




自分の書いた物語が、永い期間人々から読み継がれるようなものになったなら素晴らしいと思う。

自分が書き、そして遺したいのは、時代を越えて人々に読み続けられるような普遍的な物語だ。

神話は、時代を越えて読み継がれる完成度の高い物語

時代を越えて人々から読み続けられる物語とは、一体どういうものなのだろうかと考えた時、〈神話〉が、一つの好例として挙げられると思う。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

ギリシア神話や北欧神話などに代表される様々な物語は何千年も前に発端、成立し、現在でも多くの人に読み伝えられ愛されている。

ギリシア神話

 

図説 北欧神話の世界

 

神々や英雄たちの営みをドラマティックに描き、その示唆に富んだエピソードの数々が世界の成り立ちや文化の発展、人間の愚かと美徳などを訓え、広く叡智や教養を授けるに至っている。

〈神話〉が、例えば絵画や彫刻、小説や演劇など、後世に起こる様々な文化や表現に引用されたり、度々そのインスピレーションの源泉となったりするのは、物語の類型としての完成度が高いということ、配されたキャラクターやストーリーの構成が魅力的であるということの証左であろう。

人々を魅了して止まない〈神話〉という物語は、生活様式の変遷や文明の変革に関わらず、永く時代を跨いで読み継がれているのだ。

流行に倣って量産させられたような作品に魅力は感じないし、創りたくもない

自分は、その時代の流行を大きく反映させたような、一過性の訴求力しか持たない作品を創りたいとは思わない。

自分はそういった作品を魅力的に思わないし、そもそもにして自分には創れないのだと思う。

小説に限らず、どんな媒体でもヒット作が一つ生まれると、それを模倣した類似作品が雨後の筍のように量産させられて市場を賑やかす現状は、遠巻きに見ていても辟易する。

商業作品なのだから、同時代性というものが重要視されて然るべきなのかもしれないが、それにしたって思考が安直だし、滑稽で見るに堪えない。

それよりも、どんな時代にあっても読む人の心を動かして働きかけるような普遍的な物語を、例え爆発的な人気を生まなくとも永く読み継がれていくような物語を、読みたいと思うし、書きたいと願うのだ。

自分の、〈流行を嫌悪して普遍的なものを好む〉という性向は、何も小説を書くということにおいてのみ当て嵌まる訳でもなく、音楽やテレビゲームなど、他のあらゆる表現媒体の嗜好についても言えることなのだと思う。

自分の感性の基盤にあるもの――ファイナルファンタジー

自分が小説を書くようになったのは、テレビゲームの影響によるところが少なくない。

テレビゲームが子供に悪影響を及ぼすとか及ぼさないとか、そういった野暮な命題についてはここで言及しないが、少なくとも子供の頃の自分にはテレビゲームが多くのことを教えて、その精神や感受性を養ってくれた。

テレビゲームの中でも特にのめり込んだのが、〈ファイナルファンタジー〉というRPGのシリーズだ。

Final Fantasy VII Remake PS4 – Imported

 

ファイナルファンタジーVI アドバンス

 

ファイナルファンタジーV アドバンス

 

ファイナルファンタジーIV

 

説明するまでもない超有名作品なので、詳細を紹介することはここではしないが、小学生の時、初めてプレイした『ファイナルファンタジー3』は自分にとってあまりに衝撃的で、寝食を忘れて熱中させるほどに魅力的な遊戯だった。

ファイナルファンタジーIII

 

ハイクオリティな映像と音楽に彩られながら、ファンタジー世界のキャラクターに成り代わってそのストーリーのさなかへと没入するという原体験は、自分へと豊かな感性を養わさせて、それが今も創作する上での基礎になっていると言って言い過ぎではないと思う。

そしてまた、〈神話〉や伝承からの引用を多用して、そういった物語が存在することやその魅力を、自分へと教えてくれたのも〈ファイナルファンタジー〉だった。

例えばキャラクターの名前やモンスターの名前、街やダンジョンや武器の名前やストーリー展開に至るまで、〈神話〉や伝承、あるいは偉大な過去作品からの引用が多く見受けられて、どうしてかそれが自分を熱中させた。

子供の頃はそれが何を意味するのか、どんな作品から引用された意匠なのか理解してもいなかったが、それには自分を作品へと没入させる不可思議な力があったのだ。



ファイナルファンタジーは、神話である

極めて個人的な見解だが、〈ファイナルファンタジー〉の製作者たちは、〈神話〉を創ろうとしているのではないかと思う。

テレビゲームという表現媒体を利用して彼らが創作した〈神話〉が、〈ファイナルファンタジー〉なのではないかと思えて仕方が無いのだ。

そういう風に思うのは、何も〈ファイナルファンタジー〉が〈神話〉や伝承からの引用が多いからというだけではない。

その作品自体が普遍的で、時代の流行に大きく左右されることなく人々を楽しませることができるという意味においても、極めて〈神話的〉であると言えるのではないだろうか。

永く愛され、時代を超越して享受され続けるという特質は、正に〈神話〉と同等の性質を孕んでいると言えるのではないか。

長期に渡って新作がリリースされ続けている人気のシリーズ(2019年現在、『ファイナルファンタジー15』までリリース済み)だから、もちろん、回を重ねていくにつれて作品は進化し、その品質を向上させていくことになるが、

例えば、映像表現の稚拙さや音楽表現の単調さといった装飾部分を除けば、およそ三十年前にリリースされた初期の作品(『ファイナルファンタジー』や、『ファイナルファンタジー2』)だって、そのゲームとしての本質の部分は現在でも十分プレイするのに耐え得る良質を備えている。

いや、映像の稚拙さや音楽の単調さを加味したって、今でも十分に楽しんで遊ぶことができるだろう(これは自分が当時から遊んでいたからということがあるかもしれない)。

人々に永く愛される普遍的な作品であるということは、それだけで〈神話的〉な性質を備えていると思うし、〈神話〉に近しい創作物として世に在り続けているということなのだと思う。

百年先、千年先に生きる人にも面白いと思ってもらうために

だから自分も〈神話〉が書きたいのだ。

〈ファイナルファンタジー〉のような作品を創りたいのだ。

その時代にだけ持て囃されて、ただの時間つぶしとして消費されていくような物は創りたくない。

〈神話〉のように流行に左右されず、どんな時代であっても人々から求められ、穏やかではあるが、しかし確実に、彼らの心やその生活を豊かにすることができるような、普遍的な物語を創りたいのだ。

自分は未だ未熟で、破綻の無い物語一つ創るのだって覚束ない。

しかしいつか、時代を越えて読み継がれるような、何百年先、何千年先に生きる人々に読まれてその心を動かすような、〈神話〉のように魅力的な物語を創ることができたなら、そこに文章を書き続けてきた大きな意味が生まれて、それまでの自分は報われるのだと思う。



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