死んでしまいたいと考えているあなたへ




もしも今あなたが、生きていることが耐えられないくらいつらい、

死んでしまいたい、と、考えているならば、少しだけ気持ちを落ち着かせて、この文章を読んでみて欲しい。

あなたにとって赤の他人である自分が、無理してでもがんばって生き続けろとか、

それで楽になるのならば死んでしまうことを選んでも構わないとか、安易に提言すべきではないと思うし、そもそも何を言ってもあなたに響くことはないだろう。

けれどもあなたが救われるために、もしかしたら自分の書いた物が役に立つこともあるかもしれないと思うから、

少しでもあなたが楽になる可能性があるかもしれないと思うから、自分は文章を書いてみようと思う。それについて考えてみようと思う。

自分ももう何度も絶望の淵に立たされたが、そう都合よく救済してくれる者など現れなかった

自分も何度も、〈もう駄目だ〉と思ったことがある。

手の施しようがない、八方塞がりだ、進路も退路も断たれたと絶望したことは一度や二度ではない。

神様はなんて不公平で意地悪なんだろうと、いつだって思う。どうして自分にばかり、こんなにつらい目に合わせるのだろうと呪うことが度々ある。

それは例えば体調の良し悪しだったり、人間関係だったり、自らの置かれている社会的状況に起因したりする。

こんな状況では生きてゆくことができない、こんな自分では世界でやってゆくことなどできないと、何度だって絶望させられたのだ。

塞ぎ込み、周囲には耳を貸さず、思考するのを止め、前に進もうともしない。

そんな心理状態に追い込まれてきたことは、数え切れないくらいあった。

だからと言って、自ら死を選ぶほどの潔(いさぎよ)さも無かった。怖がりだし、痛いのも苦しいのも大嫌いだ。

なにか苦しまない方法で、痛みを伴わないやり方で、恐怖に脅かされることなく、親切な誰かが自分を殺してくれたならどんなに楽だろうと考えたりした。

〈神様、こんなに俺を苦しめるのなら、いっそ殺してしまってくれよ〉と、心の中で叫んだりしていた。

終ぞ自分を殺してくれる者は現れなかったし、楽にさせてくれる物も無かった。

ただそれまでと変わらぬ日常が訪れては過ぎ去ってゆくだけだった。

絶え間なく訪れては過ぎ去ってゆく日常こそが、心の綻びを繕ってゆく

しかし、それまでと変わらぬその日常が、自分に少しの変化を起こさせた。

他でもない、自分を苦しめてきた日常そのものが、苦しみや懊悩を和らげたのである。

なにか特別なことをしたわけではない。

自分を救ってくれる優しい誰かが現れたわけでもなければ、病院へ行って心や身体の罹患を治癒するための処方箋を施されたわけでもない。

それまで通り苦しみ、懊悩しながらも、ただ同じ暮らしを粛々とこなしただけだった。

絶望し、途方に暮れ、呆れ返りながらも、ルーティンとして毎日を生き営んでみただけだった。

しかしそれだけで、気持ちは変わったのである。

〈ただ、生きてみる〉ことが、心の持ちように変化を起こさせたのである。時間の経過が、心を健やかにしてくれたのである。

そうして〈ただ、生きてみる〉内に、自分の心は少しずつ快復させられていった。

時間の流れに身を委ねることが、痛みや苦しみや懊悩を、確かに少しずつではあるが、忘れさせたり和らげたりしてくれているようだった。

心にとっても身体にとっても、〈時間の経過〉こそが最良の薬なのだと、身を以て思い知らされた。



本当は、死にたい人には死なせてあげたい。それでも敢えて提案する。あとほんの少しだけ、生きてみて欲しい

自分はどちらかと言えば、〈死んでしまいたい〉と考えている人がいたなら、〈死なせてあげたい〉と考えている側の人間だ。

〈がんばれ! 無理してでも生きろ!〉などと、声を荒げて強いるのは、赤の他人だから主張することのできる傲慢だ。

しかしながら、〈ただ、生きてみる〉ことで、変わることがある。

自分の例のように、時間の経過が苦しみを和らげて、鎮めてくれることがある。

何気ない日常の繰り返しが、心を健やかにさせてくれることがある。

だからもう一日だけ、いや、もう一時間だけでも良いから、生きてみてはどうだろうか。

頑張らなくて良い。頼れる者には頼り、縋れる物には縋ってゆこう。

心と身体の力を抜いて、何事にも無頓着なパンダかナマケモノのように、〈ただ、生きてみる〉だけで良いのだ。人間だって動物なのだから。

ほんの数千年前までは、人間だって彼らと同じように、そうして樹木に身を委ねたり地面に寝転がったりして暮らしていたはずだ。

いつからか、私たちは無理をしたり虚勢を張ったりして、本心を曝け出さないようになってしまった。本能のままに振る舞うことを、醜いと蔑むようになってしまった。

醜くても良い、格好悪くても良い、〈ただ、生きてみる〉内に、あなたの気持ちに変化が起こることがあるかもしれない。

もしもそれでも何も変わらないで、苦しみや懊悩があなたを苛み続けたとしたら、あともう一日だけ、あともう一時間だけで良いから、〈しゃあねえ、生きてみてやるか〉と、横柄な態度でもって、生きることを続けてみて欲しい。

もしもどうしても駄目だった時に、最終の手段として、死を選べば良いのだ。

死は最後の選択肢として取っておいて、あなたの心の拠り所にすれば良い。

〈どうしても無理なら、最後には死を選ぶこともできるのだから大丈夫、もう少しだけ、あとほんの少しだけ、生きてみてやるか〉と、軽い気持ちで、生きることに取り組んでみて欲しい。

あなたが生きてきたことに大きな意味があるし、あなたの人生は、ただそれだけでとても価値のある物だから

自分が絶望の淵に立たされた時には、いつもそんな風に考えてやってきていた。

そんなことを何度か繰り返している内に、たった今この瞬間までのうのうと生き永らえてきたわけだ。呑気(のんき)なものである。

しかし今は、確かに生きてきて良かったと、心の底から思うことができる。

あと一日、あと一時間と、すべてを諦めるのを先延ばしにしてきて良かったと思う。

だからもしあなたが今、〈死んでしまいたい〉と考えているなら、試しに、騙されたと思って、もう少しだけ、生きることを続けてみて欲しい。

もう少しだけ、あとほんのちょっとだけと、生きている内に、あなたの苦しみが、心の綻びが癒されて、健やかになることがあるかもしれないのだ。

いや、時間の経過は、確かに、心身を健やかにさせるだけの不思議な力を持っているのだ。

そうして生きてみて、もしも、〈ああ、人間もまだまだ捨てたもんじゃないな〉、

〈世界は、こんなにも美しいものなのだな〉と、思えることがあったなら、

それだけであなたが生きてきた意味があると思うし、あなたの人生は素晴らしく価値のある物だったと言うことができると思うから。



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