面白い小説のネタが思い浮かぶ、オススメの気分転換方法①――〈歩くこと・散歩すること〉




小説を書き続けていれば、行き詰まってしまうということがあるだろう。

体力的にしんどくて、書くのを続けられないということもあれば、精神が疲弊して、書いていられなくなる、ということもあるに違いない。

書くべきことが思い付かない、面白い話が思い浮かばないといった悩みを抱えている者も、少なくないのではないかと想像する。

そんな時は、いつまでもパソコン画面や、真っ白な原稿用紙と睨み合っていても仕方が無い。

潔く作業を中断して、気分転換を試みてはいかがだろうか。

一時間の気分転換で、また書くことができるようになるならそうすれば良いし、一か月もの期間が必要ならそれでも構わない。

息抜きをして、小説を書くことから離れてみた時に、良いアイディアが湧いて来るということがあるに違いない。

物書き諸氏であるならば、みな諸々に適した気分転換の方法というのを持ち合わせているとは思うが、ここでは、気分転換といっても何をしたら良いかわからない、

どうやったら面白いネタが降りて来るのかわからない、とお悩みの人に、自分が実践しているオススメの気分転換の方法を紹介したいと思う。

もしもここで紹介される方法を試してみても、良いネタが思い浮かばない、面白い話が書けない、という人がいたら、

そのやり方は自分には合っていなかったんだと思って、他のやり方を探求してみて欲しい。自分だけに合った良い気分転換の方法が、きっと見つかるはずである。

もちろん、行き詰ることなんて全然ない、いつだって一気呵成に書き上げてしまうし、ネタだって次々湧いて出て来る、というような天才であるならば、この記事を読む必要はまったくない。



〈歩く〉ことが、心を洗い流して、良いアイディアをもたらしてくれる

結論から言ってしまえば、自分が実践している気分転換方法の一つは、〈歩く〉ことである。

自分は〈歩く〉こと、つまり散歩をすることで、気分転換を図っているわけだ。

下記記事でも少し触れたが、自分は歩くこと、散歩をすることが好きで、その行為を、大切にしている。

散歩は良い。

自分は、ただ歩いているだけで晴れやかな気持ちになるし、心が躍って楽しくなる。

特別な娯楽なんていらない。

ただ靴を履き、外へ出て、新鮮な空気を吸いながら歩くだけで良い。

それだけで気分は変わって来るものだし、心と身体とに良い影響があるのだと確信することができる。

できれば、背筋をピンと伸ばして、姿勢よく歩くのが良い。

シャキシャキと、快活に、風の吹くのを身体へと感覚しながら歩くのだ。

別に早歩きをする必要もないのだが、背中を丸めてとぼとぼと歩くよりはその方が良いだろう。

よく前を向いて、家々や、街並みや、緑眩しい街路樹の並木道や、真っ青な空や、そこへと浮かぶ白い雲を眺めながら、歩く。

そうすると、世界はなんて美しいんだろうと、改めて確認することができる。生きているだけで、それはなんて素晴らしいことなんだろうと感謝することができる。

そういった、澄んだ精神状態、心が洗われて清々しい気持ちになった時に、良いアイディアというのは浮かびやすいものだ。

心が、美しいものに触れ潤いに満ちた時、あるいは洗われて空っぽになった時に、創作に対する欲求というものは湧いて出てきやすい。

東京の街を散歩することほど、良いインスピレーションをもたらしてくれる物はない

散歩をする場所はどこだって良い。

自分の家の近所でも全然構わないし、散歩をするために、わざわざ遠出をしてどこかへ出向くというのもまたオツなものだ。

自分は、東京の街が好きで、一時期よく色々なところへ出掛けては歩き回った。

東京という街は猥雑なだけでなく、実に多様な面を持ち合わせているから、興味が尽きない。

起伏に富んで、坂道や階段が多いのも興味深いし、街と街とが密接しているから、少し歩いただけですぐ次の街へと歩き着いたりするのも面白い。

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古地図で歩く江戸と東京の坂

 

歩いていてまったく飽きないのだ。

東京の街の面白さは、ここでは語り尽くすことができないから、また別の機会があればその時にでも書いてみようと思う。



目的地は決めなくて良い。ただ心の赴くまま、自由に歩いてみよう

自分が散歩をしていた時には、例えば、まず新宿駅に降り着いて、〈今日は東の方向へ行ってみよう〉とか、〈今日は北に向かって歩いてみるか〉、などということをよく繰り返したりしていた。

目的地は決めず、その時の気分で、行きたい方向へと向かって歩くのだ。

交通量の多い幹線道路に沿って歩くのも悪くないし、野良猫に誘われるがまま、路地裏へと侵入してさまよいながら歩くのも良いだろう。

そこに本屋が現れたなら、ふらっと立ち寄って覗いてみるのも良いし、ゲームセンターが営業していたなら一戦交えてみるのも刺激的だ。

大きな交差点へと差し掛かったなら、歩道橋を渡ってみて、景色を眺めるのも良いし、

腹が減ったなら、誂え向きに現れた立ち食い蕎麦屋や牛丼チェーン店で、胃腸の空隙を満たしてやるのも楽しい。ただあまり食べ過ぎると身体が重くなって、その後で歩くのに難儀するから要注意。

そうして歩きながら見た景色や、歩きながら感じたこと、考えたこと――例えば、高層ビル群や、広々とした公園の緑や、そこに戯れる無邪気な子供たちや、

人目も憚らずに罵り合う若いカップルや、ホームレスの並び連なる炊き出しの様子や、猥雑な繁華街や、夜明けの飲食店裏のゴミ箱をカラスがつついて漁るのや、

繁盛しているラーメン屋へと並ぶ人々の行列の滑稽や、流行っていない定食屋の埃にまみれたショウウィンドウや、さびれた飲み屋の軒先や、昔ながらの古い家々や、その近くに設置されて残る井戸や、

港湾地区の無機的で殺風景なうら寂しさや、官庁街の厳かさとそこを歩く自分のミスマッチや、大使館の門衛の話す意味の解らない異国語や、

高級住宅街を歩く自分を咎めるようにして睨む警備員や、かつての貧民街が様変わりをしていても一部の家屋に当時の面影を残して覗けるのや、

すれ違った人々が携帯電話で話す訳の分からない仕事内容や、ビジネスマンたちの勤勉や、女子高生の無頓着や、男たちの孤独――そういったもののすべてが心を動かして、創作の種になったり、よいインスピレーションをもたらしてくれたりするわけだ。

〈歩く〉ことが孤高を研ぎ澄まし、あなた自身や、世界や真実と向き合わせる

実を言えば、別に〈歩く〉ことでなくとも、身体を動かすことであれば、どんなことだって気分転換にはなるのだろうと思うし、アイディアを閃かせることはできるのだと思う。

ただ〈歩く〉なんて生ぬるい、走った方が良いに決まっているだろうという者はランニングをすれば良いと思うし、共通の仲間がいるのなら、なにかスポーツ競技に勤しむのも良いだろう。

しかし独り〈歩く〉ということは、自分自身と向き合うことができるという意味においても価値高い。

孤独を感覚し、孤高を研ぎ澄ましながら、街の中を独り歩く。

それは、あなたが、あなた自身が何者であるかということについての考えを深めさせるし、その実像へと迫るための端緒と成り得る。〈世界〉や、〈真実〉の正体へと肉薄するための布石と成り得る。

そして小説を書くこと、文章を書くことについての考えを深めさせ、あなたが何を書き、何を創るべきかということについての、解答に近しい物をもたらしてくれるに違いない。

だから歩くこと、散歩することは、何事にも代え難く尊いのだ。その他のあらゆる行為では代用できない有用性を孕んでいるのだ。

歩き続けよう、そして、書き続けよう

自分に関して言えば、きっとこれからも書き、そして歩き続けるのだろうと思う。

書くことと歩くこと、それは自分の人生においての両輪のような気がしてならない。

だからそれは、自分が永遠の眠りにつくまで中断させられることなく、永く続けさせるべきことなのだと思うのだ。

自分にとっては、歩くくらいがちょうど良い。

走るのではすぐに疲れて嫌になってしまうだろうし、だからといって何もしないでいるには人生は長過ぎる。

だからあなたも、歩いてみてはいかがだろうか。

歩くことは、小説のアイディアをもたらしてくれるのみに留まらず、あなたの思考や感覚や精神を研ぎ澄まさせて、その人生をも豊かにさせてくれるに違いないから。



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