時代が追い付けなかった天才・ササキオサム――MOON CHILDとSCRIPTの名曲ベスト13・後編




さて、ササキオサム氏の天才ぶり、その圧倒的才能とハイセンスを、

〈MOON CHILD〉と〈SCRIPT〉の楽曲を紹介しながら説いてきた当ランキングも、後半を迎える。

当記事を来訪したのが最初で、前編の方には目を通していないという人がいたなら、

下記リンクから辿ってみて欲しい。

 

それじゃあ、ファンキーでロックンロールな〈ササキオサムワールド〉へ、後半もぶっ飛ばしてイクぜ!!



第6位『requiem for the man of nomad』――〈MOON CHILD〉3rdアルバム『POP AND DECADENCE』収録

第6位の『requiem for the man of nomad』は、〈MOON CHILD〉の8thシングルで、3rdアルバム『POP AND DECADENCE』に収録されている。

当ランキングでは、第11位の『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』以来、〈MOON CHILD〉の楽曲がランクインした。

細かいことは言わない、とにかく曲を聴いてみて欲しい。いや、聴け。

どんだけカッコいいんだ。

どんだけセンスあるんだ。

天才過ぎるだろ、ササキオサム氏。

そしてこんな神曲が、オリコンチャート最高順位34位って、

おまえらどんだけマヌケなんだ。どれだけ聴く耳無いんだ。

この曲買わないで何買うんだよ。いつまで寝ぼけたままでいるつもりなんだ

……と、冷静さを欠くほどに、『requiem for the man of nomad』という曲はカッコ良く、本来であるならば大ヒットして然るべき超優良曲なのである。

穏やかで寂しげなイントロから始まってゆき、それはやがてアップテンポで疾走感のある急流のようなメロディへと飲まれてゆく。

さながら逆巻く波濤のようにピアノの音が飛沫を立てて跳ね、ギター・ベース・ドラムが造る奔流と交錯しては、混淆した大きな激流を形作り、滔々とほとばしる。

そして突入したメロディの中で歌われるのは、

ササキオサム氏の天才的ハイセンスで紡がれる、

カオティックでデカダンな歌詞の機銃掃射。

他の誰にも考え付くことのできない、

他の誰にも理解されることが無い、

唯一無二のササキオサムワールド。

〈懊悩してる稀代のギャッツビー達〉とか、

〈火遊びしてる稀代のラスプーチン達〉とか、

〈suicide honeymoon〉とか、

こんなイカした言い回し、どうやったら思い付くんだ。天才にもほどがある。

そしてそんな独創的で棘のある言葉の数々を、メロディへと違和感なく乗せるのが巧すぎる。

すべてのいびつな言葉たちが、まるで初めから決められていたかのように、メロディの内側へ滑らかに嵌り込んで、居心地のいいようにしている。

これは他の何者にも成し得ない、ササキオサム氏の特殊技能だ。

歌詞の内容へと目を向けてみると、

数多の〈man of nomad〉的キャラクターたちに対する賛美で飾られていて、

まるでササキオサム氏自身の、天才であるが故の苦悩、その孤高を謳っているようだ。

あるいは諦念、自暴自棄とも取れる、ヤケクソ気味の弾けっぷりが見て取れ、

哀れささえ感じさせて悲しくなる。

多分、

堕落の聖地をさまようJesus Christも、

稀代の英雄である君も、

一秒だってここにいられない放蕩息子も、

呻吟してる冒険者も、懊悩してるギャッツビーも、

電話してる場所がわかんない僕も、

呻吟してるファシストも、火遊びしてるラスプーチンも、

滑走していく時代の幻影へと落ちぶれてしまった君も、

そのすべての者が、

〈requiem〉を捧げられ、鎮魂させられるべき〈man of nomad〉なのであり、

つまりは、

ササキオサム氏自身のことを指しているのだと思う。

つまりこの、

『requiem for the man of nomad』という楽曲は、

〈man of nomad〉である、ササキオサム氏自身のために捧げられた、

〈requiem〉なのだ。

これが〈ballade(バラード)〉でも〈rhapsody(ラプソディ)〉でもなくて、

〈requiem〉であるのが哀しい。

多分、この頃すでに、セールスの不調などから、

〈MOON CHILD〉には不穏な陰が立ち込め始めていて、

ササキオサム氏も、自らの置かれている境遇などから、

バンドと、そして自分自身が、忌避すべき状況へと陥ってしまうのを、予見していたのではないだろうか。

最初、確かに、

〈滑走してく稀代の英雄〉だった〈MOON CHILD〉およびササキオサム氏が、

最期には、

〈滑走していく時代の幻影〉へと成り果ててしまったのが、実に哀しい。

〈滑走していく時代〉というのは、当時の世界や社会、あるいは音楽業界のことを指して言っているのだろう。

そして、

〈僕が電話してる場所がわかんない〉という一節は、

どういった方向へとバンドの舵を切っていけば良いのか、

何のためにがむしゃらに活動しているのか、

どうしたら売れる曲が作れるのか、

いや、そもそもにして、売れる曲を作るべきなのか、作るべきではないのかすらもわからない、

そんな、当時の〈MOON CHILD〉およびササキオサム氏の、混迷した状況を言い得ているようで、とてもやるせない。

当時の大衆が、時代が、世界が、

もう少しでも〈良い物〉と〈悪い物〉とを識別することのできる眼を持っていたなら、

〈MOON CHILD〉およびササキオサム氏の才能とその真髄とを、広く長く享受することのできる、良好な環境が音楽業界に設えられていたかもしれないのに

――と、あれこれ推測して書いてみはしたが、

『requiem for the man of nomad』は、

2ndアルバム『MY LITTLE RED BOOK』制作時には完成していたというから、

上記したような見解の数々は、自分の見当違いなのかもしれない。

しかしそれにしたって、当時の〈MOON CHILD〉およびササキオサム氏が置かれている状況と、歌詞の内容とが、

どう足掻いてもシンクロして見えてしまうのは、自分が捻くれ者だからなのだろうか……。

第5位『3秒だけ待つ』――5thシングル『ESCAPE』カップリング曲

第5位の『3秒だけ待つ』は、5thシングルにして大ヒットした『ESCAPE』のB面として収録されているカップリング曲だ。

大ヒット曲『ESCAPE』のカップリング曲であるからして、多くの人に知られているはずなのだが、

その割に話題にのぼることが少ない。相変わらず大衆の眼は節穴である。

一聴してみただけだと、音数が少なく、どこか物足りないように感じることがあるかもしれないが、

繰り返し聴いていく内、その独特のリズムと、淫靡な歌詞がクセになる、中毒性の高いスルメ曲だ。

タイトスカート、アフガンブーツ、ブルネット、カザチョーク、ブロンソンと、

頻出する、ハイセンスで鮮烈なイメージを喚起させる言葉たちが、どこか浮世離れして、幻惑的な雰囲気を醸す中、

そこで歌われているのは、ある愛の形であるのには間違いないらしいのだが、なかなかどうして難解で、一聴しただけでは要領を得ない。

自分は初め、

 

快楽をむさぼる

街路に佇む

あなたは僕の孤独の背に

爪立てたナイチンゲール

 

――という歌詞から、娼婦との恋愛を謳った物かと想像したが、

どうもそんな単純な物でもないようだ。

歌詞の主人公は、

〈君〉が湛えさせている憂いのために、〈君〉を抱けない。

そんな歌詞の主人公へ、〈君〉は、「3秒間だけ待つ」と、ピストルを突き付ける――

ササキオサム氏の真意はわからないが、そこにあるのは、

〈too catastrophic〉な愛の形であるのには違いなく、歌詞の主人公には、もう成す術が無いようだ。

 

いつものように

目覚めれば

見しらぬ服を着た

君が

僕を嘲笑(わら)っていた

 

――と歌う間奏部分からは、

夢から醒めてもなお、まだそこが夢の中であるような幻惑感と、

破綻に追い込まれたようなやるせなさ、息苦しいほどのせつなさとが湛えさせられていて、胸を締め付ける。

歌詞の主人公は、確かに〈君〉を愛しているのだが、恐らくは永遠に、

〈君〉を抱けないし、イケないのだろうと思う。

いずれにしても『3秒だけ待つ』は、

ササキオサム氏の、色恋に対しての繊細な感受性、

そこに付随させられることを免れない、悲しみや哀しみといった物を窺い知ることのできる、そのパーソナリティが色濃く表出させられた名曲であるのに違いないのだ。

第4位『微熱』――〈MOON CHILD〉2ndアルバム『MY LITTLE RED BOOK』収録

第4位の『微熱』は、〈MOON CHILD〉の4thシングルで、2ndアルバム『MY LITTLE RED BOOK』の収録曲だ。

4thシングルなので、大ヒット曲『ESCAPE』の一つ前のシングルということになる。

ミドルテンポで気怠げなメロディ、

地を這うように、舌を絡みつかせるように、ねっとりと歌い上げられるササキオサム氏の妖しい歌詞。

まるでササキオサム氏の歌声が、メロディその物が、

男女の情交を、そのまぐわいの微熱を、具現しているようだ。

サビの部分で、ササキオサム氏がファルセットを使って歌い上げるのが、

張り詰めて切れる寸前の理性と、心を掻き毟りたくなるような劣情、

あるいは、嫉妬や猜疑心さえ孕ませた、いつ破綻してもおかしくない男女の関係性の危うさ、脆弱さを表しているようで巧みだ。

どこか陰鬱とした、夜が明けそうで明けない午前四時頃の停滞感のようにメランコリックなメロディには、不可思議な中毒性がある。

振り切れることなく、どこまでもスッキリとしない、厭世的な空気感が全編に渡って漂わされ、

それが〈高熱〉にも〈冷静〉にも振り切れることがない、正に〈微熱〉を、よく表しているのだと思う。

自分が特に好きなのは、

 

夜想曲(ノクターン)

辛辣な冗談と苦情

疑心暗鬼な君のくちびる

今夜は酔わせてよsherry

 

と歌い出す2番のAメロで、

その、鮮烈な言葉をメロディへと心地良く乗せる表現の巧みさには、天才的であると形容するより他無い。

ミュージックビデオでは、ササキオサム氏の真骨頂である〈オサムダンス〉を存分に堪能することができるので、是非視聴してみて欲しい。

ボウリング場において、エキストラの若い女たちが戯れ演技する前でも、

遺憾なく〈オサムダンス〉を炸裂させて舞うササキオサム氏からは、

微熱どころか、湧き上がる超高温のパッションしか感じられない。

しかしそんなササキオサム氏でも、過去の恋愛関係において〈微熱〉を焚き付けられ、燻らせていた経験があったのだろうか。

『微熱』は、恋愛関係において多くの場合で劣勢に立たされることになる、男のがわの、

哀れや冷静さとは表裏一体とも言える、ほとばしる情愛の念の揺らぎを、表して歌っている歌なのだと思う。

第3位『FULL METAL PAIN』――〈SCRIPT〉2ndアルバム『SCRIPT IS HERE』収録

さてランキングもいよいよ大詰めであるが、

第3位の『FULL METAL PAIN』は、〈SCRIPT〉の2ndアルバム、『SCRIPT IS HERE』の収録曲だ。

当ランキングとしては、第7位の『Inspiration』以来、〈SCRIPT〉の楽曲がランクインした。

『FULL METAL PAIN』はシングルカットこそされていないが、

〈SCRIPT〉の2ndアルバム『SCRIPT IS HERE』の第1曲目として収録されており、自信作であることが窺える。

この『SCRIPT IS HERE』というアルバムタイトルだが、

1stアルバムの『gentleman’s lib』では、敢えて大っぴらに自分たちの正体を明かすことをしなかった〈SCRIPT〉の二人が、本格始動するにあたり、

「俺たちならココにいるぜ!!」

と、その存在を高らかに顕示し、前向きに活動していくことを表明しているようで、実に小気味よい。

『FULL METAL PAIN』は疾走感のあるロックサウンドで、無骨さと哀しさとを併存させたようなメロディがクセになる。

4分前後でスカッと終わるのも気持ちが良く、繰り返し何度も聴いていたくなる中毒性があるのだ。

個人的な見解では、『FULL METAL PAIN』もやはり、前述した『ESCAPE』と同タイプの楽曲であるように思う。

『ESCAPE』と同じくらいキャッチ―で、シングルカットされていないのが勿体ないくらいカッコいい曲なのだ。

その歌詞へと耳を傾けてみると、

夢破れて、絶望に打ちひしがれる人物が主人公であることがわかる。

まるで、

〈MOON CHILD〉を長く継続させることができずに、解散へと追い込まれてしまったササキオサム氏自身の悲哀を謳っているかのようだ。

しかし彼は諦めない。

遠ざかってゆく切ない日々にひざまずく未来なんて欲しくない、

遠ざかってゆく眩しかった日々にしがみつく永遠なんて見たくない、

と決意し、

誰かのやさしさも慰めも受け容れないのは、

自分の痛みを癒し救うことができるのは、自分しかいないことを解っているからだ。

彼は、羽に傷を負って上手く飛べない。

しかしそれでも、

過ぎ去りし想いが闇を照らすから、

こころは立ち止まれないから、

何かを手に入れる代わりに、何かを失くしながらも、

傷付いた羽をちぎって、高く飛ぼうとすることを諦めないだろう。

走り続けることを止めないだろう。

いつか胸の奥へとわだかまる、鋼鉄のように硬く冷たい痛みが、いとしさに形を変えるその時まで――

――と、概ねそんな内容になっている。

勘の良い人ならすぐに理解できると思うが、

つまり『FULL METAL PAIN』という楽曲は、

〈MOON CHILD〉で一度は得た栄光をいさぎよく捨て去り、

〈SCRIPT〉ととして、ゼロから積み上げてゆくことを恥じないで宣誓する、

正にササキオサム氏自身の決意表明の歌として仕立て上げられているのだ。カッコ良すぎる。

第2位『コミュニケーション』――〈SCRIPT〉1stアルバム『gentleman’s lib』収録

第2位の『コミュニケーション』は、〈SCRIPT〉の1stアルバム『gentlman’s lib』の収録曲で、その第1曲目を飾るナンバーだ。

つまり〈SCRIPT〉として初めて世に吐き出され、人々の耳へと届けられる、一番最初の音になるわけだ。

それによって〈SCRIPT〉というバンドのイメージが印象付けられ、今後の活動の帰趨を決定付けることになるかもしれない、

極めて重要なポジションを任された楽曲であるということである。

〈SCRIPT〉の〈顔〉としての役目を任された楽曲であると、言い換えることもできるだろう。

(曲は3:35くらいから)

動画を視聴してみて、あなたはどう感じただろうか。

自分は、1stアルバム『gentleman’s lib』を一聴してみて、

すぐに第1曲目の『コミュニケーション』が好きになり、そればかりを繰り返し聴くようになっていた。

ファンキーでキャッチーなイントロ、どこか泰然として大胆不敵に歌われるAメロ、

そして一転し、美麗でメロディアスな旋律を奏でるサビ部分――そのどれもが自分の心を掴んで、

〈新しく生まれ変わったササキオサム〉=〈SCRIPT〉の音楽を、自分の心へと強く印象付けさせたわけだ。

特に、胸を締め付けるようなせつなさを湛えるサビのメロディが素晴らしい。

ササキオサム氏の心の奥の部分には、人のせつなさを喚起させるような、

まるで泣き出してしまいそうになるメロディラインを湧き立たせる源泉があって、

それがいくつもの名曲、美しいメロディの佳曲を産み出し続け、

いつだって自分の心の琴線へと触れては、揺り動かして止まないのだ。

『コミュニケーション』は、歌詞も素晴らしい。

ササキオサム氏独特の感性で描かれる、男女のコミュニケーションの滑稽を謳ったようなAメロの歌詞も面白いが、

特に素晴らしいのはやはりサビの歌詞で、

 

やさしくなんかない

だれも

胸がいたくて

泣き出しそうな瞬間を

あなたに

つたえたい

「僕は今ここにいる」

 

という部分と、

 

やさしくなんかない

だれも

やさしくされたい

本当は

やさしくなりたい

でもできない

言葉がちぎれて

役に立たない瞬間を

あなたに

つたえたい

「僕は今ここにいる」

 

という部分が自分の胸を打って、特に強く揺り動かした。

要約すると、

人はみな自分のことでいっぱいいっぱいで、

他人にやさしくする余裕なんてありゃしない。

でも、いや、だからこそ、本当は、やさしくなりたいんだ、

やさしくなって、

胸が痛くて泣き出しそうになる瞬間や、

言葉にすることができない、せつなさやいとしさが込み上げるあの瞬間

(それはつまり、あなたのことが好きであるという想いに焦がれる瞬間)を、

あなたへと伝えて、

「僕は今ここに生きている」ということの、証明をしたいんだ

――というようなことを歌っているのだと思う。

とかく人と人とのつながりが空疎になりがちな現代社会において、

愛する人や大切な人へと気持ちを伝えること――つまりは〈コミュニケーション〉をとることを、大切にしたい、蔑ろにしたくはないんだという、

一方では人間の愚かさに絶望しながらも、しかし誰より人間らしくあろうとする、

傷付きやすくもやさしい、

ササキオサム氏のセンシティブな感性と思想とが顕著に表出させられた、非常に秀逸な歌詞だと思うのだ。

また、間奏直後に歌われる

 

愛されることに慣れ過ぎたのかい?

愛しかたを忘れちまったのかい?

 

という歌詞も素晴らしい。

自分から愛することをせずに、愛されることばかりを求めて、

そうあろうとする現代人――特に、若い世代の女性の、

滑稽や愚かさを的確に風刺して歌っているようで、実に痛快だ。〈愛されキャラ〉とか、〈愛されメイク〉とか、ヘドが出る。

『コミュニケーション』という楽曲は、せつなさややさしさだけでなく、きっちりとお得意の毒気をも注入させて拵えた、

正にササキオサム氏の真骨頂とも言うことができる、〈SCRIPT〉のデビューを飾るのにふさわしい名曲なのだ。

ライブ動画も熱くて良いが、できればCDを購入して正規の音源を聴いてみて欲しい。

余談だが、上記のライブ動画を見てみると、ササキオサム氏が非常に楽しそうにしているのが印象深い。

第10位『トーキングヘッズ』の項でも少し触れたが、〈SCRIPT〉初期の頃のササキオサム氏が、氏のキャリア中で最も活動を楽しんでいるように見えて、

その表情の柔らかさ、朗らかさに、見ているこちらが安堵させられる。

第1位『極東少年哀歌』――〈MOON CHILD〉9thシングル『フリスビー』カップリング曲

さて、長かった当ランキングも、いよいよクライマックスの時を迎える。

栄えある第1位に輝いたのは、〈MOON CHILD〉の9thシングル『フリスビー』にカップリングされたB面曲、『極東少年哀歌』だ。

とにかく、まずは聴いてみて欲しい。

焦燥感を煽り、焚き付けるようなイントロ。

すぐに突入するAメロの、ジャギジャギとしたサウンドはひたすらカッコ良く、

そこへと乗せられるササキオサム氏の艶っぽい歌声が、粗削りなサウンドの隙間を埋めるようにして、耳あたりをほど良くまろやかにさせる。

Bメロへと入れば、ササキオサム氏の嘆くように哀愁を帯びる歌声は、よりキャッチ―で流麗なメロディを奏で上げ、そのメロウな音色がただただ心地よい。

その後再びのAメロ・Bメロの繰り返しの後、ついに突入するサビでは、

いつも以上にはっちゃけた、勢いだけで創ったような韻を踏んだ歌詞が炸裂させられて、半ばヤケクソ気味に歌唱される。

一聴してみて直ぐに心奪われ、歌い出したくなるほどにキャッチーで、シンプルかつ耳ざわりの良い楽曲なのに、

この『極東少年哀歌』は、カップリングのB面曲に甘んじている。何故だろうか?

〈MOON CHILD〉の熱心なファンならば周知の事実だろうが、

それはこの『極東少年哀歌』という楽曲の歌詞――つまりは歌っている内容に、問題があるからだ。

歌詞を追ってみると、最初のAメロの部分では、

 

愛ぢゃない 夢ぢゃない

嘘ぢゃない玩具が欲しい

冗談みたいな日常を

愛さなくちゃ生きてゆけない

 

――と、何かに嘆いて絶望している節はあるが、別段問題が見受けられるような歌詞ではない。

少なくとも、A面曲として世に出すことを憚られるような内容を歌っているわけではなさそうだ。

しかしこの後、Bメロのあたりから、どうやら少し風向きが変わってくる。

 

ありったけの才能

ありったけのキッチュを

慇懃(いんぎん)に提供してきたんじゃん

そりゃないぜ

 

――と、こちらは一聴してみただけで、誰もが解るようになっている。

明らかに、ササキオサム氏自身の憂いと嘆き、その心の声が露見させられていて、

それを赤裸々に吐露した歌詞であるということが、容易に想像させられるようになっているのだ。

そう、つまりこの曲、『極東少年哀歌』は、

『ESCAPE』が大ヒットした前でも後でも、変わらず真摯に音楽へと向かい合い続け、慇懃にそれを提供してきたのにもかかわらず、

セールスが振るわなかったために、一発屋として認知されてしまい、最終的には解散に至ることになる〈MOON CHILD〉のボーカルでフロントマン、

天才・ササキオサム氏の心の声――その絶望と苦悩と憂愁と怨嗟とが反映させられた、

個人的感情が多分に含まされた〈哀歌(エレジー)〉であるのに他ならないのだ。

ササキオサム氏は、ありったけの才能、

ありったけのキッチュ

(〈キッチュ〉には通俗的なもの、陳腐なものといった意味があるが、

一方で、その悪趣味さに美的感覚を見出して、ポジティブな意味としても使われる言葉である。

ササキオサム氏は、他人には理解され難い自身のハイセンスを指して〈キッチュ〉であると、半ば自虐的に歌っているのだ)

を、その楽曲へと真摯に注ぎ込み、

確かに慇懃に、つまり丁寧に、真心込めて、それを提供してきてくれた。

だのに世間と大衆とは、それを適格に評価・賛美する能力を持ち合わせておらず、

ササキオサム氏は、〈堕落の聖地をさまようJesus Christ〉に成り果て、

ついには〈滑走してく時代の幻影〉へと、(一時的にとは言え)落ちぶれてしまったわけだ。

ササキオサム氏が〈そりゃないぜ〉と嘆くのも無理はない、

曲を聴いているとその呻吟ぶり、懊悩ぶりが如実に伝わってきて、聴いているこちらまで哀しくなる。

それでは、引き続き歌詞を追ってみよう。

二周目のBメロでは、

 

ドーナツ盤が泣いてる

カップリング曲なんて捨て駒

ひみつのアッコちゃんの

B面なんていかしてる

 

――と歌われ、

シングルのカップリング曲にも良曲を収録して提供してきたのに、

それらには目を向けてもらえず、まるで捨て駒のようにされてきたことに対する嘆きを訴えているかのようだ。

しかしそれにしたって、その歌詞の圧倒的ハイセンスぶりに、ただ舌を巻くより他無い。

日本の音楽業界の他のどこに、

〈ひみつのアッコちゃんの B面なんていかしてる〉

――なんていう、

素晴らしくユーモラスでウィットに富んだ歌詞を書けるミュージシャンが存在するだろうか。いや、どこにも存在するまい。

ありきたりでつまらないラブソングばかり作って蔓延させている凡百のミュージシャンたちに、ササキオサム氏の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

自分は、ひみつのアッコちゃんのB面曲がどんな物であるか知らなかったので、調べてみたところ、『すきすきソング』という楽曲だった。

聴いてみたところ、水森亜土さんのポップな歌声と、そのファンシーな世界観とがマッチして昇華した、確かな良曲であった。

 

アッコちゃん 来るかと

団地のはずれまで出てみたが

アッコちゃん きもせず

用もないのに納豆売りが

 

――と歌う歌詞は、なんだかシュールで小気味よい。

その後もアッコちゃんは来ず、来るのは校長先生や大泥棒ばかり。

明言されていないが、

きっと彼らはみな、変身して姿を変えたアッコちゃんなのだろう――と想像できるような歌詞に仕上がっているわけだ。

さて『極東少年哀歌』の歌詞へと話を戻そう。

二周目のBメロ、その後半で、

ファンの間では語り草になっている、物議をかもした歌詞が、ついに登場する。

 

ポスト★★★★★★★★★

期待されて3年

一発屋でおわっちゃってんだ

No No No No No No

 

動画を視聴していただければわかると思うが、

★★★★★★★★★の部分は、ササキオサム氏の歌声が加工されていて、

何と歌っているか判らないようになっている。

〈ポスト〉という言葉は、

〈~の後〉〈~の次〉といった意味を持つ接頭語で、

例えば、

〈ポスト安部〉といったら、

〈安部(晋三)総理の次の総理〉〈安部総理の後継者〉〈安倍総理の次に総理になるべき人〉、

……みたいなニュアンスが込められた意味になるわけだ。

つまり、

〈ポスト★★★★★★★★★〉

という歌詞の、

〈★★★★★★★★★〉

の部分に入るのは、ミュージシャンの名前であり、

〈MOON CHILD〉は、そのミュージシャンの後継者――次に〈来る〉ヒットメーカーとして、期待されていたということである。

音源をよ~く聴けば、ササキオサム氏が何と歌っているかはわかる。

★は9個あるから、9文字の名前のミュージシャンで、

〈MOON CHILD〉よりも前にデビューし、

そして〈MOON CHILD〉がデビューした1996年には既に大ブレイクしていた、超人気バンド――

――そう、〈Mr.Children〉である。

〈MOON CHILD〉は当時、〈ポストMr.Children〉として、

次なる大ブレイクバンドになるべく、その双肩には期待という名の過大なる重圧がのしかかっていたのだ。

しかし〈MOON CHILD〉を指して、〈ポストMr.Chldren〉などと最初に宣(のたま)ったのはどこのボンクラなのだろうか。

恐らくはレコード会社の人間が、〈MOON CHILD〉を売り込むために、どこかのメディアで発言した物であると想像できるが、

それにしたってナンセンスにも程がある。

〈MOON CHILD〉は唯一無二、

〈Mr.Children〉とは全く異質のバンドであり、

そもそもにして、両者は同じ土俵には立っていない(少なくとも自分はそう思う)から、

比較して優劣を付けるための物差しだってありゃしないのだ。

〈Mr.Children〉だって、自分たちの後任者と目されたバンドが、

期待に応えられなかったために落ちぶれて解散していくのを見ることなんて、望んではいないだろう。

〈ポストMr.Children〉なんていうレッテル貼り、誰も幸せにならないのだ。

この『極東少年哀歌』という楽曲が、あまり表沙汰にされなかったり、

タブー視されたりしているのは、正にこの

〈ポスト★★★★★★★★★(ミスターチルドレン)〉

という歌詞に因るところではあるのだが、

ササキオサム氏は何も、

〈Mr.Children〉のことを悪く言っているわけではないし、

〈Mr.Children〉より自分たちの方が優れているとか、訴えているわけでもない。

別段、過激な発言をしているわけではないのだ。

ただ、第三者による、ナンセンスかつ、全く的を射ていないレッテル貼りのために、

自身と、自身の大切なバンドとが取り返しのつかない事態へと追いやられてしまった悲劇を、

哀しみを、悔恨を、怨嗟を、エスプリをたっぷりと効かせて歌い上げているだけなのだ。

ササキオサム氏は、レッテル貼りに対する悔しさや不平を、

正々堂々ミュージシャンらしく、その創作物へと昇華させて、世間へと発露させたわけだ。

近年、周囲からの批評・批判に対して、ブログやツイッターなどで反論・弁解するミュージシャンの姿も散見されるが、

ミュージシャンであるなら、ササキオサム氏のように、

自らの負の感情は、創作物やその仕事内容へと昇華させて発散させろ!

と言いたい。

ミュージシャンらがツイッターなどで言い訳がましくグチグチと弁解するのは、

実にダサいし、カッコ悪い。

それに比べてササキオサム氏のなんと潔いことか。ミュージシャンの鑑である。

そしてこれは全くの偶然なのだが、

〈MOON CHILD〉と〈Mr.Children〉とは、バンド名がなんだかよく似ている。

いや、似たバンド名だったから、

〈MOON CHILD〉は、〈ポストMr.Children〉なんていう、然してありがたくもないレッテルを貼られてしまったのかもしれない。

正にバンド名が招いた悲劇と言えよう。

お願いだから、今後レコード会社の社員は、才気溢れるミュージシャンを見出した時に、

〈ポスト〇〇〇〇〇〉なんていう、ナンセンスな売り込み方をしないでいただきたい。

これは〈MOON CHILD〉とササキオサム氏が、自らを犠牲にして我々へと指し示してくれた、尊い、一つの教訓である。

そしてこのことは、何も音楽業界だけでなく、

マンガや小説にゲーム、アイドルや俳優に至るまで、すべての業界について言えることだと思う。

マンガ編集者や小説編集者、芸能事務所社員などは、自社の商品・自分の担当する商材がどういった物であるのか、

どこに魅力があり、どんな潜在能力を秘めているか、

本人以上に良く勉強して認識し、十二分に理解した上で、その宣伝活動へと勤しんでいただきたい。

ミュージシャンやアーティストやクリエイターたちは、手厚い保証の成されたサラリーマンであるアナタガタと違って、

些細な舵取りのミスリードで、その運命の帰趨を左右されてしまう、脆弱で寄る辺ない存在なのだ。

そして歌詞ではこの後も、

 

どうなっちゃってんだ

ねえプロデューサー

あいつら何を

歌っているのだ?

 

――などど、自虐的に歌われていて、

当時の〈MOON CHILD〉と、そしてササキオサム氏の心情を慮ったなら、

非常に哀しく、こちらまでやるせない気持ちにさせられてしまう。

『極東少年哀歌』は他にも、

 

どこまでが恋で

どこからが愛なんてさ

自分に酔いしれてる

度合なんでしょう

 

と、辛辣ながらも、極めて的確に世界の真理を言い当てていたり、

 

テレビの中で

サッカー応援してる人たちの

ひたむきな 根性身に付けたい

 

と、当時のサッカーワールドカップへの、

盲目的とも言える大衆の熱狂ぶり、その滑稽と愚かさとを痛快に風刺したりしていて、

ササキオサム氏のハイセンスが発露・炸裂させられた、超優良曲であるのにもかかわらず、

〈★★★★★★★★★(ミスターチルドレン)〉という、特定のグループ名を歌詞へと乗せてしまったために埋没させざるを得なかった、

正に悲劇を一身に背負った、

まるで線香花火のように激しく儚い〈MOON CHILD〉の運命を象徴する、禁忌の名曲なのだ。

殿堂入り『ESCAPE』――〈MOON CHILD〉2ndアルバム『MY LITTLE RED BOOK』収録

さて、ランキングにランクインさせられた全13曲を紹介してきたわけだが、

最期にもう一曲だけ、紹介しようと思う。

そう、『ESCAPE』である。

『ESCAPE』は、〈MOON CHILD〉の5thシングルにして、バンド最大のヒットソングであり、

〈MOON CHILD〉の名を広く世間へと知らしめるきっかけになった、超有名曲だ。

説明するまでもなく、〈MOON CHILD〉の楽曲の中では最も多くの人に親しまれ、

良くも悪くも、

〈MOON CHILD〉=『ESCAPE』

という構図を成り立たせた。

いやしかし、数え切れないほど聴いているのに、どうしてこんなにも自分の心に響くのだろう。

他の数多の大ヒットソングや流行歌は、

大抵、テレビCMや歌番組や有線放送などで耳に入り過ぎたために、

そのイントロを聴いただけで辟易して、ゲロ吐きそうになるのに、

『ESCAPE』だけは何度聴いても聴き飽きないし、

いついかなる瞬間だって、その哀しげなメロディが心を揺り動かして、胸を締め付ける。

当記事において、

『ESCAPE』が一体どの位置にランクインさせられるのか、気になっていた人もいるのではないだろうか。

なかなかランキングに登場しないから、ヤキモキした人もいるかもしれない。

実際、

〈MOON CHILD〉と〈SCRIPT〉の楽曲をランキング形式にして紹介していく記事を作ろう、

と思い立った時、

『ESCAPE』をどのタイミングで紹介するべきなのか、

第何位に据え置くのが最も的確なのか、考えあぐねた。

文句無しの第1位に据えて、素直に賛美するのがふさわしいか、

それともツウぶって、少し低めの順位にランクインさせるのが面白いか――

考察を重ねた結果、

自分はやはり『ESCAPE』が大好きであり、

そして確かに、〈MOON CHILD〉において、群を抜いて素晴らしい楽曲であるということには間違いが無く、

また、ランキングや自分の嗜好を超越した境地に達している、特別な存在であるとも認識することができるから、

あえて全13位のランキング中のどこにも属させず、〈殿堂入り〉という処遇を施すに至ったというわけだ。

それでも無理矢理ランキングにねじ込み、数値化しろと言うのであれば、

『ESCAPE』は、〈第0位〉だ。

〈第0位〉であるというのは、〈第1位〉よりも上位であるということを意味し、

そしてまた、〈MOON CHILD〉というバンドの存在意義・存在理由と同義であるということをも意味する。

なぜならば、『ESCAPE』という楽曲が無かったなら、

世の多くの人と同様、やはり自分も、〈MOON CHILD〉というバンドを知り及ぶことがなかったからだ。

『ESCAPE』が存在してくれたおかげで、自分は〈MOON CHILD〉と、

そしてササキオサム氏の素晴らしさを、知ることができたのだ。『ESCAPE』は〈MOON CHILD〉なのだ。

〈MOON CHILD〉=『ESCAPE』

という表現は、一発屋みたいな言い草で容認できないが、その逆、

『ESCAPE』=〈MOON CHILD〉

であるということは、確かに言うことができるのかもしれない。

『ESCAPE』という楽曲は、〈MOON CHILD〉というバンドその物を象徴しているような気がしてならないのだ。

しかし今さらになって自分などが、『ESCAPE』の説明を、ここでグダグダとしたりはしない。

真の名曲は、何も考えずに、

ただ聴いて、感じるままにしていれば良い。

『ESCAPE』という楽曲は、すでに世の多くの人の心の中に存在していて、

遠い思い出や、あの日の喜びや哀しみと共にあるはずだから、

消え去ることなく、永遠に、そのメロディは奏でられ続けるだろう。

『ESCAPE』をまだ聴いたことが無いという人がいたなら、是非聴いてみて欲しい。

『ESCAPE』を聴いて、あなたが感じたこと、

その瞬間に湧き上がった想い、心を染め上げた色、湧き立った匂い――

それらが『ESCAPE』のすべてであり、

そして〈MOON CHILD〉とササキオサム氏が伝えたかったことの、すべてだ。

天才・ササキオサムは走り続ける

天才・ササキオサム氏が、ありったけの才能と、

ありったけのキッチュとを注ぎ込んだバンド〈MOON CHILD〉は、解散に至った。

その後、

〈MOON CHILD〉のベーシスト・渡邊崇尉氏と立ち上げた〈SCRIPT〉もまた、精力的に活動した後、その営みを休止させるに至っている。

ササキオサム氏はその後も〈Ricken’s〉というバンドを組むが、そちらも活動を休止させた。

しかしササキオサム氏は、音楽を鳴り響かせるのを、止めない。

現在では一人のミュージシャン・〈ササキオサム〉として、

ソロ活動を精力的に営み続けている。

2019年現在、4枚のオリジナルアルバムと1枚のライブアルバムを世に放ち、

その圧倒的才能とハイセンスの健在ぶりを、遺憾なく発揮させている。

個人的には、

『メタフィジック』

『カザミドリ』

『SPARKLING DIVE』

『RAIN』

あたりが特に好きで、文句無しに名曲だと思う。

(『RAIN』は6:09から)

ササキオサム氏が、人間としてもミュージシャンとしてもカッコ良く、

また素晴らしいと思えるのは、

どんな苦境に立たされても、躓いてしまって立ち上がるのが困難である時にも、

決して過去の栄光に縋り付くこと無く、

愚直に、前だけを向き続け、例え遅々とした歩みであっても、しかし確かに前進することを止めようとしない、

その一点の曇り無いピュア――純度100%の健全で崇高な精神・〈ミュージシャン魂〉を、年齢を重ねた現在でも保持させ続けているということだ。

ササキオサム氏に対して、

『ESCAPE』のバンドの人、

という程度にしか認識が無い人がいるなら、

現在のササキオサム氏の楽曲や活動に、触れてみて欲しい。

そこには、いつまでも音楽を始めたばかりの高校生のように純粋で、

誰よりもファンキーとロックンロールを体現した、

ひとりのカッコいい中年ミュージシャンがいて、

どんな時でも飾らず、汗だくになりながら、魂込めて歌を歌い続けているに違いないから。




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