時代が追い付けなかった天才・ササキオサム――MOON CHIlDとSCRIPTの名曲ベスト13・前編




以前、下記記事において、音楽を聴くことが創作に良い影響をもたらすということを紹介した。

そこで、自分が創作することへと影響を与えた音楽として、〈MOON CHIlD〉およびその後継バンド〈SCRIPT(スクリプト)〉について紹介したのだが、

そこでは記事の都合上、十分に語ることができなかったので、改めて紹介していきたいと思う。

彼らについて、大ヒット曲『ESCAPE』だけの一発屋だと認識している人がいるなら、見当違いも甚だしいし、実にもったいない。

彼らの素晴らしさ――特にバンドのフロントマンで、ほとんど全ての楽曲の作詞作曲を手掛けるササキオサム氏の、圧倒的才能とハイセンス、

その天才ぶりを、一人でも多くの人に知っていただきたいと思うわけだ。

自分の好きだった楽曲をランキング形式で紹介し、その過程で彼と彼らの魅力について語っていくが、

ランキングの順位については、自分が独断と偏見で選んだ、個人的な嗜好によるものなので了承いただきたい。

また、ササキオサム氏の名義表記は、活動の種類や時期によって〈佐々木収〉だったり〈佐々木收〉だったりするのだが、

当記事では、現在の氏の活動に使用されている〈ササキオサム〉表記で統一するので、こちらも併せて了承いただければと思う。

ランキングが〈ベスト10〉ではなく〈ベスト13〉である理由については、下記記事にて触れているので、気になった人は一読して欲しい。

 

それでは、ファンキーでロックンロールな〈ササキオサムワールド〉へLet’s goだぜ!!



第13位『Over the rainbow』――〈MOON CHILD〉1stアルバム『tambourine』収録

第13位、先ず初めに紹介するのは、〈MOON CHILD〉の2ndシングル『Over the rainbow』だ。

大ヒットした『ESCAPE』は5thシングルだから、

『Over the rainbow』は、まだ彼らが世間に広く認知される前の楽曲ということになる。

悲しみを孕ませたせつないメロディながら、夏の午後に窓から吹き抜ける風のように涼やかな耳当たりが心地よい。

歌詞は、一つの恋愛の終わりを描いた物のようで、

傷付き、哀しみに打ちひしがれながらも、それに抗ったり、悔やんだりするのではなく、

受け容れ、胸へと抱き締めながら、それと共に未来へと歩んでいこうとする潔さが美しい、

〈抜け〉が良く、爽やかな楽曲に仕上がっている。

当時〈MOON CHILD〉はまだ三人体制で、ギターの秋山浩徳(あきやま ひろのり)氏は未加入であった

(当楽曲のミュージックビデオには、秋山浩徳氏の顔から下だけが映る)。

ミュージックビデオを見てもらえばわかると思うが、2ndシングルからして、ファンの間では有名な、通称〈オサムダンス〉が炸裂している。

〈オサムダンス〉とは、

ササキオサム氏が、楽曲中ココロの赴くまま、湧き上がるパッションのまま、身体全体を使って動きまくるダンスパフォーマンスのことである。

〈オサムダンス〉はもちろん、楽曲の世界観やその歌詞を表現している物であるのには違いないのだが、どちらかというと、

動かずにはいられない、内からほとばしる感情を表現せずにはいられないといった、ササキオサム氏の剥き出しの衝動を、無分別に表出させた物である向きが強い。

しかしミュージシャンたる者、このぐらいファンキーに、アグレッシブに身体を動かして音楽を表現し、そして楽しんで然るべきである。

そういった意味では、ササキオサム氏ほど正しく音楽を楽しんで、〈ミュージシャン〉を体現している者は他にいないだろう。

そしてその〈オサムダンス〉を映えさせているのが、ササキオサム氏のスタイルの良さ――細身と高身長だ。

近年こそ、少々肉付きの良い体型へと変化したが、当時のササキオサム氏は、

細身のシャツやパンツ、ジャケットを着させたら、右に出る者がいないと思うほどに似合っていて、最高にカッコ良かった。

特に、半袖シャツを好んで身に纏っていて、それが派手な柄物でも真っ白なワイシャツであってもサラリと着こなしてしまうのは、

ササキオサム氏のスタイルの良さと、その顔立ちのハンサムさが成せる業なのだと思う。

そしてこの『Over the rainbow』のミュージックビデオでは、

後に〈SCRIPT〉で、ササキオサム氏と共にその首謀者として名を連ねることになる、

ベーシストで盟友・渡邊崇尉(わたなべ たかやす)氏のカッコ良さも堪能することができる。

渡邊氏は、端正な顔立ちにロングヘアの良く似合う、クールでセクシーなベーシストだ。愛称は〈わりっち〉。

帽子を被っていることが多く、ロングヘアの先端をはみ出させて遊ばせるスタイリングなどを見ても、

彼のどこか大人びた、洗練されたファッションセンスと美学を窺い知ることができる。

身体の高い位置でベースを抱えて持つプレイスタイルも一貫していて、

まるでバンドのフロントマンであるササキオサム氏を立てるように、常にクールな様子、抑制の効いた表現でリズムを刻み、

サウンドの基礎を堅持して支え奏でようとするスタンスは、非常に好感が持てるのだ。

真相は定かでないが、ひとり〈MOON CHILD〉の解散に反対したのが渡邊崇尉氏であり、

また、ササキオサム氏の才能に惚れ込んでいたことから、〈SCRIPT〉において行動を共にしたのもまた、この渡邊崇尉氏ただひとりなのだ。

〈ササキオサムのバディ(相棒)〉――そんな表現がしっくりくる、ササキオサム氏の活躍の陰にいつも静かながらに寄り添う、

芯に熱い物を滾らせた、名プレーヤーなのである。

そんな渡邊氏が、この『Over the rainbow』のミュージックビデオでは、割とはっちゃけているのが面白い。

サングラスをかけたり、シャツの胸をはだけさせて見せたりしていて、

後の〈SCRIPT〉時代においては考えられないほどに、サービス精神旺盛な渡邊氏を見ることができるのだ。

ミュージックビデオだから、見栄えする動きをするよう指示を出されていたのかもしれないし、

デビューして間もない頃だから、単純に、若かったというのもあるのかもしれない。

もしかしたら渡邊氏は、

ササキオサム氏が〈動〉のボーカリストであることから、ベーシストである自分は〈静〉のパフォーマンスに徹するべきであると悟って、

そうあるように、いつからか自分を律しているのかもしれない――というのは、自分の勝手な想像であり、完全な妄想である。

ひとりビジュアル系畑の出身であるらしい、リーダーでドラマーの樫山圭氏は、オレンジやブルーなど、カラフルな髪色をしていることが多いのだが、

このミュージックビデオではまだ、おとなしめのヘアスタイルをしている。

いずれにしても、この『Over the rainbow』のミュージックビデオは、若く、あどけなささえ散見させる〈MOON CHILD〉の三人と、

そのピュアでフレッシュな音楽性の一端を垣間見ることができる、良質な映像作品として仕上がっているというわけだ。

第12位『太陽とシーツ』――〈MOON CHILD〉3rdアルバム『POP AND DECADENCE』収録

『太陽とシーツ』は、〈MOON CHILD〉の3rdアルバムにして、最後のオリジナルアルバムとなる、『POP AND DECACENCE』の収録曲だ。

この『POP AND DECADENCE』というアルバム、名盤であるのには違いないのだが、相当に独創的で、混沌とした様相を呈している。

〈decadence(デカダンス)〉とは、〈頽廃(たいはい)〉や〈堕落〉といった意味を持つ言葉だが、

つまりタイトルが示す通り、『POP AND DECACENCE』は、

ポップで広く支持されるような要素と、

頽廃的・非道徳的な雰囲気とを、混在させて仕立て上げたアルバムになっているわけだ。

特に際立って印象に残るのは、〈decadence〉的な性質を帯びた楽曲の数々で、

ササキオサム氏の創作遍歴の中で、最も色濃く、氏の内奥にある〈decadence〉的な性向が抽出させられた楽曲群になっていると思う。

〈MOON CHILD〉は、この『POP AND DECADENCE』の発売とほぼ同時期に解散することを発表しており、

そのことが、『POP AND DECACENCE』というアルバムを、〈decadence〉的にさせた一因であるということは、想像するに容易い。

恐らくは、解散していることが決定している渦中で製作された楽曲も少なくないのだろう。

アルバム全体からは、気怠げで、堕落して憚らないような雰囲気が淀んで鬱積している(とは言え、ポップで晴れ晴れとした楽曲も多くあるのだが)。

自分は陰鬱として後ろ向きな雰囲気の楽曲が大好きだったから、『POP AND DECACENCE』の世界観には見事にハマったというわけである。

そして第12位にランクインした『太陽とシーツ』は、歌詞中に〈decadence〉という単語が使われていることからもわかる通り、

アルバム『POP AND DECACENCE』の中においても、〈decadence〉を体現して湛えさせた楽曲の内の、最たる物であるように思う。

歌詞を見てみると、

 

高飛車にしたたかに

がむしゃらに生きるなんて飽きた

せめてつましくさぁ

家具のように死んだように

眠りたいんだ 父さん

〈もう何もしたくない〉

 

――という冒頭からして、〈decadence〉全開である。

他にも、

 

ときめいた気持ちさえ1秒後に白けてる

 

とか、

 

悲しくても不条理でも苦瓜噛ったように笑って

築き上げた夢なんて誰にも誇れないよ 母さん

 

とか、秀逸な言い回しが多数登場するのだ。

歌詞の主人公が、生きるのに辟易しているのや、

世界の在り様にうんざりしているのに、とても共感できるし、

天才であるササキオサム氏でさえ、

いや、天才であるササキオサム氏だからこそ、

人々の無理解や無思慮や無想像やナンセンスに、懊悩したり絶望したりすることがあるのだと想像することができて、共感を抱くと同時に、

その陰鬱として倦怠感漂うメロディ――〈decadence〉の渦中へと身を委ね、いつまでも家具のように死んだように眠っていたくなるのだ。

ササキオサム氏ほど真摯に音楽へと向き合って、ハイセンスで優良な楽曲を創り続けている者は他にいないのに、

『ESCAPE』以降セールスが振るわない、大衆が着いて来てくれないとあらば、

〈世界はテイタラクさ〉と嘆きたくもなるだろう。

第11位『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』――〈MOON CHILD〉3rdアルバム『POP AND DECACENCE』収録

第11位の『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』も、

第12位の『太陽とシーツ』同様、『POP AND  DECADENCE』の収録曲だ。

『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』は、ミドルテンポかつ気怠げな雰囲気が心地よい、ササキオサム流バラードだ。

歌詞では、

何かに傷ついては悲しみに暮れ、いつも泣いてばかりいる、弱虫の〈君〉へ向かって、

包み込むようなやさしさで励ましてやる主人公の心情が描かれている。

 

スリーサイズとか

歩幅より

やさしさ量るメジャーが欲しいよ

そしたら

ちびな君だって

「のっぽのサリー」って人気の的なんだ

 

……と歌う、二番の歌詞が秀逸だ。天才過ぎるだろ。

要約すれば、

 

スタイルの良さや、脚の長さを測るためのメジャー(計測器)ではなくて、

人の心の〈やさしさ〉を、計測できるメジャーがあったらいいのに、

君の〈やさしさ〉を計測できたなら、その数値は誰よりも高いだろうから、

君が一番の人気者になれるのにな

 

――と歌っているのである。

やさしいゆえに傷付きやすい〈君〉を想いやる、ササキオサム氏のやさしさが滲み出た、素晴らしい歌詞なのだ。

ちなみに、〈のっぽのサリー〉という言い回しは、ビートルズがカヴァーしたことで知られる楽曲名からの引用で、

ササキオサム氏の音楽ルーツを垣間見ることができると同時に、その言葉のチョイスのハイセンスぶりに舌を巻かざるを得ない。

『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』で歌われる〈君〉は、

たった今悲しみ嘆いている、すべての人に当て嵌まる。

例えば、

自分が深く傷付き、悲しみに暮れている時に、

ササキオサム氏に目の前で、『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』を歌ってもらえたなら、

どんなに励まされ、慰められるだろうかと思うのだ。

世界には、心の腐った人間、

鈍感で、人を傷付けるのを何とも思っていないような人間が多く存在するが、

やさしく繊細で、善良な人間もまた、少なからず存在している。

もしかしたら『ケ・セ・ラ・セ・(ラ)・ラ・バ・イ』は、傷付きやすい〈君〉を想って励ますだけでなく、

やさしい人ほど涙させられることが多い、この世界や社会の歪(いびつ)を嘆いて、訴えているのかもしれない。

第10位『トーキングヘッズ』――〈SCRIPT〉1stアルバム『gentleman’s iib』および、2ndアルバム『SCRIPT IS HERE』収録

さてここで、第10位にして初めて、〈SCRIPT〉の曲が登場する。

当記事を閲覧しているような人には説明不要だと思うが、

〈SCRIPT〉は、

〈MOON CHILD〉のボーカリスト・ササキオサム氏と、

〈MOON CHILD〉のベーシスト・渡邊崇尉(わたなべ たかやす)氏によって結成されたバンドだ。

〈MOON CHILD〉が解散を発表したのち、最後のライブを行ったのが1999年2月で、

〈SCRIPT〉が結成させられたのが、同年4月というわけだ。

〈SCRIPT〉は最初期、〈GENTLEMAN’s ROCK MUSIC〉なるものを標榜していて、

アルバムジャケットのデザインなどを、どこか都会的で、洗練された印象を与えるビジュアルイメージで統一させていた。

実際、ミュージックビデオやテレビ出演などで、細身のシャツやスーツを着こなしてパフォーマンスする二人は、

上品かつ理知的(スマート)な雰囲気を漂わせていて、めちゃめちゃカッコ良かった。

そしてこの第10位にランクインした『トーキングヘッズ』は、

そんな〈SCRIPT〉が、満を持して世に問うた1stシングルであり、

ササキオサム氏の天才ぶりが遺憾なく発揮された、超神曲だ。

アップテンポでリズミカル、ファンキーなメロディへと、

ササキオサム氏の、天才的としか言いようのない、ハイセンスでイカした歌詞が乗せられ、マシンガン掃射のように捲し立てられる。

あらゆる印象的な固有名詞・パワーワードを旋律の中へと散りばめて、短いフレーズの中に密度濃くねじ込んで入れ、

しかし歌ったり聴いたりした時、それは確かに心地良く、メロディとしてのキャッチ―さを損ねさせていない。

そんな、ササキオサム氏の類い稀なるソングライティングの才能を目の当たりにさせられるのが、この『トーキングヘッズ』という楽曲であり、

それはまた、ササキオサム氏の才能に比肩し得る者などいないこと、

時代の先を行き過ぎていて、今後、それに追随する者さえ生み得ないだろうということさえも、雄弁に語って教えている。

拙著『ディアヴロの茶飯事』も、

〈あらゆる固有名詞やパワーワードを短間隔の中に散りばめる〉、

というササキオサム氏のソングライティングの手法に、影響を受けているところがあると思う。

一度この手法を用いて、作詞をするなり小説を書くなりしてみればわかると思うが、

この手法は、著しくエネルギーを消耗する。

ありきたりな言葉を用いて、それを適当に嵌め込めんでおけば済むはずのところに、

いちいち主張の強く、固有に意味を持つ単語を引っ張ってきては当て嵌め、

全体としての整合性にも配慮しながらライティングしていくのだから、当たり前である。

しかもササキオサム氏の楽曲の中には、この手法で製作させられた物が少なくなく、

その上、〈MOON CHILD〉時代においては、ほとんど全ての楽曲の作詞作曲をしていたというのだから、疲弊して当然である。

そんな渾身の楽曲たちのセールスが振るわない、大衆の理解が追い付かないとあってみれば、

拗ねて、『POP AND DECADENCE』のような頽廃的雰囲気を過分に纏わせたアルバムの一枚や二枚、創りたくもなるというものだ。

歌詞を詳細に見てみると、

 

yeah 僕のラジカルヘッド

スノッブを 食べて 喋り出す ピープル!

 

……と、冒頭からして、一聴しただけでは理解できない、

偏差値高めな言い回しが用いられている。

ラジカル、つまり〈radical〉という語を調べてみると、

〈急進的な〉〈過激な〉、

といった意味を持っていることがわかる。

スノッブは、〈snob〉で、

〈俗物〉や〈気取り屋〉〈見栄っ張り〉〈お高くとまった人〉〈紳士気取りの人〉、

といった意味があるらしい。

〈僕のラジカルヘッド〉というのは多分、

〈過激で急進的な、もの言う頭〉――つまりササキオサム氏自身の頭、あるいは口を、指しているのだろう。

〈スノッブを食べて喋り出すピープル〉の方はと言うと、

〈世の中の俗物を食い物にして、好き勝手に論じたり批判したりしている傍観者的立場にいる大衆〉

というようにも理解できるし、

〈世の中の見栄っ張りやお高くとまった人を創作の糧として摂取して、その滑稽を歌い、捲し立てるササキオサム氏自身〉

という具合にも、解釈できるのではないか。

その後も、こんな調子であらゆるパワーワードを頻出させながら、ハイセンスかつスタイリッシュなリリックをシュートし続けるわけだが、

そもそもにして、楽曲のタイトルである〈トーキングヘッズ〉という言葉は、

アメリカの有名バンド名から引用したのであると同時に、

〈おしゃべり頭〉〈テレビのニュースキャスター〉、といった意味があるわけで、

〈有ること無いこと捲し立てて喋りまくる頭〉、といった意味合いが込められているのに違いなく、

それはマシンガン掃射のように捲し立てる、この歌の様式を言い得た物であって、だから歌詞の真意のほどには、然したる重要性が無いのだと思う。

……とは言ってみたものの、

〈自分の言葉で ギャンブルしなくちゃ モテないぜ〉

〈あなたがいて僕がいる 解り合えないって嘆いてる〉

といった言い回しは、正しく真実を、世界の実態を、言い得ていると思うし、

〈先人の偉大な発明の焼き直し世代 あくびの殺しかたが 上手くなっただけさ〉

〈恥じらいとか アイデンティティーさえも クローン化されちゃった〉

といった言い回しの巧みさには、ただ舌を巻く以外、成す術も無いのである。

そしてサビの部分、

 

錆びた時代のドアを こじあけて 出かけよう

 

と歌う歌詞からは、

世界や社会が抱えている閉塞感、あるいは音楽業界にわだかまっている停滞感など、気に留めずぶち壊してしまえといった気概が窺えるし、

 

Never give up

Don’t look back

I’ve got a new head

 

と叫ぶ英語詞部分からは、

〈MOON CHILD〉では思い通りに立ち回ることができなかったササキオサム氏の、

しかし後ろを顧みることも、諦めることもないという決意表明と、

新しい表現活動の場=〈SCRIPT〉を手に入れたことに対するストレートな喜びとが、

爆発するように発露させられていて、実に気持ちが良いのだ。

そして今作『トーキングヘッズ』は、ミュージックビデオも素晴らしい。

――どこか島嶼部の、飛行場のようなロケーション。

その抜けるような青空だけが広がった、どこまでも広い滑走路の上を、ササキオサム氏は、歌いながら走り続ける。

その後ろからは、渡邊崇尉氏の運転するクラシックカーが距離を詰め、どこまでもササキオサム氏を駆り立てるように追走する

――と、そんな作りになっている。

自分がこのミュージックビデオを見て、真っ先に思い至ったのは、

渡邊崇尉氏の運転するクラシックカーが、【時代】の、メタファー(暗喩)になっているのではないかということだ。

【時代】は、ササキオサム氏が良い曲を作っても作っても、飽き足らずにいつまでも追い立てて来る。

〈MOON CHILD〉の頃、頑張っても頑張っても、【時代】や【流行】や【大衆】に追い回されて、

ソイツへと寄り添って安らぐことができなかった、ササキオサム氏自身の生き様を体現しているようにしか見えないのだ。

あるいは、常に【時代】の先を行っていて、

それに追いつかれることも追い越されることもない、ササキオサム氏の【行き過ぎた先進性】を、暗喩しているのかもしれない。

二番のサビ部分へと入る前、ササキオサム氏が後ろを振り返り、後方のクラシックカー――つまりは【時代】へと向かって、

窘めるように指を立ててポーズするのが、エスプリが効いていて面白い。

まるで、いつまでも愚かなままでいる【時代】や【流行】や【大衆】たちへと向かって、

〈そんなナンセンスじゃ、一生俺には追い付けないぜ?〉

……って、諭しているみたいだ。

そしてミュージックビデオ後半、

ついにササキオサム氏は、クラシックカーに激突されて、昏倒する。

渡邊崇尉氏が、恐る恐る運転席から顔を上げて覗いてみると、

ササキオサム氏はまるで無事な様子で立ち上がり、しかしそこを天国だと見紛う。

そして身も軽やかに、クラシックカーのボンネットへと乗り上げ、間奏部のラップを歌い上げる――

この一連の流れもまた、

〈MOON CHILD〉当時、一度は【時代】に激突されて死に至り(バンドを解散に至らせ)、

そして再び〈SCRIPT〉として復活した、ササキオサム氏のミュージシャンとしての人生を表しているようにしか思えないのだ。

ミュージックビデオ終盤、渡邊崇尉氏の運転するクラシックカーは、

ササキオサム氏のかたわらへと停車して、氏はついにクラシックカーの助手席へと乗り込む。

これはササキオサム氏が、突っぱねて、【時代】の先を行くばかりでなく、

【時代】に寄り添い、それへと同乗する器用さを身に付け、

新しいバンド〈SCRIPT〉では、そんな一面さえも見せていくよという、

自身の変化、あるいは成長を、説明をしているようにも見て取ることができる。

クラシックカーへと乗り込むササキオサム氏は、実にイイ顔をしていて、新しいこと、新しい音楽を始める喜びに、昂揚しているようにさえ見える。

〈MOON CHILD〉最終期のササキオサム氏は、どこか鬱屈としたオーラを纏って、様々なわだかまり・ストレスを抱えたまま、

そう、例えるならば、

〈横っ腹が痛むのを堪えながら無理して走っている〉

みたいにしていて、痛々しい印象を受けたのだが、

『トーキングヘッズ』のミュージックビデオおよび、

〈SCRIPT〉初期のササキオサム氏の表情からは、腹に溜まっていた物が排泄されたような、雲が晴れたような、清々しさに悦んでいる印象を受け、

心の底から活動を、音楽を、楽しんでいるように見えるのだ。

〈MOON CHILD〉という枷(かせ)――

それは例えば、四人いるメンバーそれぞれの個性だったり、主義主張だったり、

あるいはプロデューサーからの要望だったり、エイベックスという巨大なレコード会社と契約していることから来るプレッシャーだったり、

思うようにはいかないセールスだったり、自身が産み出してしまった『ESCAPE』という大ヒット曲の幻影だったり――

――そう言った物から開放されて、

渡邊崇尉氏と二人体制という、バンドとして最小限の形態をとることにより、身動きが取りやすくなり、

のびのびと、まるで学生時代へと還ったかのように、心底から音楽活動を楽しんでいるように見えて、

「ああ、オサムさん……良かったね……!!」

と、見ているこちらまでが祝福したくなるような心持ちにさせられるのだ。

第9位『サイレン』――〈SCRIPT〉3rdアルバム『Body Language』収録

第9位の『サイレン』は、〈SCRIPT〉の4thシングルで、

3rdアルバムである『Body Language』に収録されている楽曲だ。

どこか危機感を煽るようなイントロ、

タイトルよろしく、サイレン音のように鳴り響く、Aメロまでの導入部分。

それらノイジーなサウンドとは裏腹に、

メロディの方は頽廃的な雰囲気を纏わせながらも美しくキャッチ―で、

そこへと乗せられるササキオサム氏の歌声は、どこまでも甘くメロウだ。

歌詞で歌われている内容を要約すると、

 

終わらない悲しみに苛まれ、心を閉ざし続ける〈君〉、

そんな〈君〉の〈SOS〉――心のサイレンを聴き取って、

〈君〉の痛みを癒したい、終わらせてやりたいと願う〈僕〉――

 

――と言った風な感じだろうか。

ササキオサム氏の歌詞には、誰かの危機や、その心の憔悴を察して、それへと手を差し伸べてやるような物が多い。

それはきっとササキオサム氏自身が傷付きやすく、人一倍やさしい心を持っていて、誰かの痛みに対しても敏感だからなのだろうと思う。

ササキオサム氏の創る楽曲には、当然ながら、何種類かのタイプがあるが、

例えば、前述した第10位の『トーキングヘッズ』のように、

固有名詞や印象的なパワーワードを、短いフレーズの中に散りばめて捲し立てるタイプの楽曲も有れば、

ただただ美しいメロディへと、色恋や、普遍的な哀しみについての歌詞を乗せて歌った楽曲もあるわけだ。

『サイレン』はどうであるかと言うと、その後者にあたるわけで、

そういった楽曲に関しては、歌詞に別段深読みするような意味が込められている訳でもなく、自分などがあれこれと詳らかに説明するまでもない。

感じるままに、ササキオサム氏の歌う哀しみ、奏でられる美しいメロディへと身を委ね、

その甘い歌声に、ただただ酔いしれていれば良いのだ。

『サイレン』にはどこか、『ESCAPE』を彷彿とさせる雰囲気があって、自分はササキオサム氏の創るこういったタイプの楽曲が大好きだ。

せつなさや哀しみ、頽廃的な空気を纏わせながらも、身体へとやさしく染み入るような美しいメロディは自分の心の琴線に触れ、揺り動かして止まないのだ。

ミュージックビデオでは、珍しく髪色を明るくさせたササキオサム氏がギターを掻き鳴らすのが、相変わらずオシャレでカッコいい。

久しぶり?のオサムダンスも見ることができる。

渡邊崇尉氏の方はと言うと、氏の遍歴の中ではかなり短い方なのではないかと思われる小綺麗なヘアスタイルへと帽子をかぶらせて、

ただ静かにベースを爪弾く姿が、ひたすらにクール&セクシーだ。

第8位『STRANGER』――〈SCRIPT〉5thシングル

第8位の『STRANGER』は、『サイレン』に次ぐ〈SCRIPT〉の5thシングルで、アルバム収録は無い。

アルバム収録が無いのは、恐らく『STRANGER』リリース後に、

活動の場をメジャーからインディーズへと変更させたのに伴って、レコード会社を移籍したからだと思う。

『STRANGER』リリース後、そのレコード会社に在籍している期間にはもうアルバム制作が行われなかったため、

結果どのアルバムにも収録させられないまま、インディーズレーベルへと移籍してしまったということなのだろう。

つまり『STRANGER』は、人々に聞き入れられる機会を一つ逸していると言え、

名曲であるのにも拘らず、不遇な運命を辿らされた楽曲であると言えるのではないか。

イントロはどこか不穏な空気、寂しげな空気を纏わせながら奏でられ、

メロディは全編通して、一聴してみたただけですぐに口ずみたくなるほどキャッチ―だ。

『STRANGER』も、第9位で紹介した『サイレン』同様、『ESCAPE』タイプの楽曲だと思う。

その頽廃的かつ、メロディアスな旋律へと乗せられる歌詞で描かれているのは、

混沌とした街、混迷した社会に翻弄させられながらも、

それぞれが孤独な〈stranger(見知らぬ人・赤の他人)〉として、

たくましく、そして哀しく生きる人々の、

〈街のガードレールも、常識のボーダーラインも全部取り払って、君を愛したい〉、

という、不器用な〈愛〉の模様だ。

 

ガードレール 蹴飛ばして cry

 

とか、

 

真実は いつまでも mistake

 

とか、相変わらず言い回しのハイセンスが光る。〈癒えない〉に〈言えない〉と言う意味も込めさせて、ダブルミーニングにしているのも巧い。

しかしこの楽曲も『サイレン』同様、

歌詞の意味を深く考察するよりは、ただひたすらに、その頽廃的かつ美しいメロディに酔いしれ、聴き惚れるのが、正しい堪能の仕方と言えよう。

独創的かつハイセンスな歌詞を紡ぎ上げ、それを歌に乗せるのが極めて巧いというのと同時に、

メロディメーカーとしても圧倒的な才能を誇り、人の心を揺り動かす、せつなさや哀しみを内包した、美しい旋律を創り上げる技量に優れているというのが、

天才・ササキオサム氏の天才たる所以だろう。

第7位『Inspiration』――〈SCRIPT〉3rdアルバム『Body Language』収録

第7位の『Inspiration』は、〈SCRIPT〉の3rdシングルで、

3rd アルバムである『Body Language』に収録されている。

導火線を辿る火花のようなイントロから始まり、

やはり頽廃感とキャッチーさとを兼ね備えたメロディが、疾走感を損なわせないまま最後まで突っ走る。正に〈電光石火〉だ。

歌詞からは、

 

息苦しく生きづらい現代社会を、それでも平気なフリをして生きる〈僕〉。

そんな疲弊した〈僕〉の前に、

太陽のように熱く輝かしい〈君〉が現れた。

大切なものを失くしていく一方の〈僕〉から、いっそ全部奪い去って、

〈君〉と出会った瞬間の〈inspiration〉こそがすべてであると、騙し切って欲しい。

〈君〉と出会った瞬間の〈inspiration〉こそが〈自由へのサイン〉であり、

君を愛することが、〈僕〉にとっての〈自由〉だとわかったから

 

――と言った風なストーリーを、自分は読み取った。

少しわかりにくいが、〈inspiration〉というのは、

運命的な相手と出会った時に走った衝撃――その火花散るような閃きや輝きを比喩した物なのではないかと、自分は解釈したわけだ。

Wikipediaによれば、『Inspiration』はオリコンの週間チャート最高順位が39位で、『サイレン』や『STRANGER』よりも好成績であると言える。

しかし、それにしたって39位である。

こんなカッコいい曲が39位って、

大衆の感性はどれだけモウロクしてんだ。見る目が無さ過ぎて呆れ返る事しかできない。

耳クソ詰まり過ぎだろ

と、言いたくなる。

きっとササキオサム氏も、相も変わらない人々のテイタラクぶりに、酷く嘆いたことだろう。

『Inspiration』も、『サイレン』や『STRANGER』同様、

『ESCAPE』タイプの楽曲だと、自分は考えていて、

だから『ESCAPE』が大ヒットしたのに、これらの楽曲のセールスが振るわないのには納得がいかないわけだ。

大衆が、いかに流行に流されやすく、

周囲と同調したり、人気の物や、既に売れている物にばかり飛び付いているということがわかる。

本当に良いものが、正しく評価されなかったり、売れなかったりするから、業界が衰退していくのだと思う。愚かしいにもほどがある。人々はいつ気付くのだろうか。

……と、なんだか愚痴っぽくなってきたので、一旦ここで区切りを付ける。

ランキングの後半が気になるという人は、

〈時代が追い付けなかった天才・ササキオサム――MOON CHILDとSCRIPTの名曲ベスト13・後編〉

の方にも目を通していただければ幸いだ。




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