L’Arc〜en〜Cielの神曲たち――ラルクアンシエルの名曲ランキングベスト13・前編




自分が小説を書いたり文章を書いたりする時、音楽が、そのインスピレーションの源泉となって様々な着想を与えてくれた。

ポップス、ロック、クラシック、ジャズ、アイドルソング、アニメソング、ゲームのBGM――良いと思った音楽は、ジャンルを問わず何でも聴くようにしていた。

そういった中で、〈ビジュアル系〉とカテゴライズされるジャンルの音楽に出会い、

それは他に類を見ない独特の世界観・音楽性を提示して、自分を大いに愉しませてくれ、少なからずその創作物に影響を与えた。

中でも〈L’Arc〜en〜Ciel〉は非常に魅力的なバンドで、

稀に見る高品質の楽曲・世界観を提示して、自分はそれに大いにハマった

(〈L’Arc〜en〜Ciel〉と〈ビジュアル系〉という言葉の間にある関係については、色々と書くべきことも多いかと思うが、ここでは割愛する)。

当記事では、そんな〈L’Arc〜en〜Ciel〉の数ある名曲の内のほんの一部を、ランキング形式で紹介していきたいと思う。

ランキングは、独断と偏見――自分の嗜好によって順位付けがなされた、極めて個人的な物になっているので了承いただきたい。

作成してみた後でわかったことだが、ハッキリ言って、〈L’Arc〜en〜Ciel〉初心者を門前払いするような、かなり捻くれたランキングに仕上がっている。

大ヒット曲や有名曲だけ知りたいという人は、その要望に応えてくれるような記事が他にいくらでもあるはずなので、そちらを見ていただければと思う。

自分の嗜好は、どうも大衆のそれや流行とは乖離して、

あまり知られていなかったり、ライブでは演奏されにくい楽曲に心揺さぶられる傾向にあるようだ。

それでは、ポピュラーにしてアヴァンギャルド、

幻想的にして理性的、孤高にして普遍な、

めくるめく〈L’Arc〜en〜Ciel〉の世界へとご案内しよう。



第13位『THE GHOST IN MY ROOM』――7thシングル『虹』カップリング曲

ランキングの初っ端を飾る第13位、『THE GHOST IN MY ROOM』は、

7thシングルである『虹』のB面として収録されたカップリング曲だ。

「いやそこは『虹』じゃないんかい!」

……という突っ込みを受けそうだが、断じて『虹』ではない。

『虹』は確かに超名曲だが、自分はカップリング曲として甘んじている、

『THE GHOST IN MY ROOM』の方を推す。

『虹』と言えば、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉=〈虹〉の名を冠した、バンドを象徴する代表曲であり、

「……時は奏でーーーて」

――と、ボーカルのhyde氏が絶叫する、印象的なサビ部分を耳にしたことがある人も多いだろう。

有名な話だが、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉は、数字の【7】にまつわる数奇な運命に彩られていて、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉というバンド名が意味する〈虹〉は【7】色であり、

バンド名を冠した渾身の楽曲『虹』は【7】番目のシングルだ。

そしてバンドメンバーが現在の形態に至るまで、全【7】人を擁し、

【7】番目に加入したyukihiro氏の加入をもって、バンドが最終形態を迎えた、という風にも認識できる。

前任のドラマーsakura氏が逮捕されたことにより、〈L’Arc〜en〜Ciel〉が活動休止を余儀なくされたのは、旧来からのファンならば誰もが知る話だが、

このことから、自分はsakura氏を、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉を最終形態に至らせるための、〈最後の犠牲者〉であるというように表現したい。

sakura氏に関しては、色々と書きたいことが多いので、書くべき時に都度書いていこうと思う。

今この場で言えることがあるとすれば、

sakura氏もyukihiro氏も、それぞれに異なった、非常に魅力的なドラマーであるということだけである。

さて『THE GHOST IN MY ROOM』であるが、

作詞・作曲をボーカルのhyde氏が手掛けたこの楽曲は、A面の『虹』とは相反して、非常にノリが良く、ライブ映えする楽曲として仕上がっている。

……だのに、上の動画の観客のノリの悪さはどうだ。

hyde氏がステージ狭しと駆け回り、観客を煽ったり、ベースのtetsuya氏と絡んで、どうにかして盛り上げようと苦慮しているのが窺える。

と言うのも、上の動画は、1999年に行われた〈GRAND CROSS TOUR〉の物で、

当時の〈L’Arc〜en〜Ciel〉は、

1998年に、シングル三枚同時リリース、シングル二週連続リリース、

1999年にアルバム二枚同時リリースといった商業戦略も相まって大ブレイクし、

ある種の社会現象と言えるほどの、凄まじい人気を獲得していて、

言い方は悪いが、ミーハーなファンも激しく急増していた時期だったから、

1997年にリリースされた『虹』のカップリング曲である『THE GHOST IN MY ROOM』を、聴いたことのない者が多かったのだろう。

この時のあまりの盛り上がらなさぶりに、『THE GHOST IN MY ROOM』は、以降のライブでは演奏されなくなってしまった。

ちなみに、当ランキングにはランクインさせられないが、

自分が好きな『I’m in Pain』というバンド創成期の楽曲が、〈15th L’Anniversary Live〉で披露されたのだが、

こちらも観客の反応がすこぶる悪く、『THE GHOST IN MY ROOM』同様、以降のライブでは演奏されていない。

〈L’Arc〜en〜Ciel〉というバンドは、楽曲のセールスや過去のデータなどを鑑みて、

極めて理性的・戦略的に活動の仕方を組み立てていくバンドだから、

観客の反応が芳しくなかった楽曲を、以降のライブでは演奏しないように処置するのは必然と言えるだろう。

いやしかし実にもったいない。

元々、『THE GHOST IN MY ROOM』は

 

トゥルットゥ♪ トゥルットゥ♪ トゥルットゥ♪

 

と、Aメロ前にhyde氏が口ずさむスキャットや、

 

love me look at me touch me please hurt me……

 

と英語詞を捲し立てるAメロ、

 

ダララダーダラダダッダラダラダラッダダー♪

 

と、ご機嫌そう奏でられるアウトロのスキャットが心地良い名曲であるだけでなく、

ライブでは、上記動画――〈GRAND CROSS TOUR〉でのパフォーマンスで見せているように、hyde氏の、CD音源とは異なった一層冴え渡るスキャットを堪能することができ、

更なる佳曲として昇華させられる、正にライブのために創られたような楽曲であるのにもかかわらず、演奏されなくなってしまったというのだから。

上記動画では、他にも、イントロやアウトロで、

 

ウーーーウーウーウ♪

 

と、hyde氏の美声によって叙情的に歌唱され、

CD音源よりも精彩を放って表現された『THE GHOST IN MY ROOM』の世界を堪能することができるので、是非視聴してみて欲しい。

歌詞の方へと目を向けてみると、なかなかどうして難解で、一聴してみただけでは要領を得ない。

歌詞の主人公は部屋へと閉じ籠り、〈亡霊〉に囚われる日々を送っている。

しかしある時、目が眩むような太陽に照らされ、彼はついにそこから抜け出すことに成功する。

「錆び付いた鍵なんかいらない」と、ドアを解き放って外へ出、彼はもう振り返ることなく、〈機械仕掛けの君〉を連れて、明日へと向かう――

――と、概ねそんな風なストーリーになっているのだが、

〈亡霊〉が何を指しているのか、

〈機械仕掛けの君〉が何を意味しているのか、といった部分の解釈は、一筋縄ではいかない。

『THE GHOST IN MY ROOM』は、sakura氏の事件を受けて、休止期間に入った〈L’Arc〜en〜Ciel〉が、

休養・製作・撮影のために訪れていたイギリスあるいはドイツで創られたもので、

例えばそこでhyde氏が経験した事とか、観た映画だとかが影響しているのかもしれない。

 

真っ暗な海に落ちた船のまわりを

泳いでいる 人魚みたいに

 

という一節は、明らかに、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉の三人がドイツで宿泊した〈ネコ城〉から眺めることのできる、

ライン川の〈ローレライ伝説〉からインスピレーションを受けた物であるのに違いない。

ちなみに、このライン川の〈ローレライ伝説〉からインスピレーションを受けてhyde氏が作曲したのが、

活動休止から復活して最初に制作されたアルバム『HEART』の、第1曲目として収録されている『LORELEY』であり、

同様にしてken氏が作曲したのが、同じく『HEART』に収録されている『fate』である。

〈L’Arc〜en〜Ciel〉にとって、少なくとも三つの楽曲の着想の源泉となっているのだから、

いかに〈ローレライ伝説〉が興味深く、また〈ネコ城〉から眺めることのできるライン川流域の景観が美しかったかということが想像できる。

余談だが、

この〈L’Arc〜en〜Ciel〉が休養・制作のためにイギリス&ドイツを訪れていた際の様子を撮影して、

ひとつの映像作品として仕立て上げた物が当時スペースシャワーTVで放映されたのだが、これが堪らない。

『〈L’Arc〜en〜Ciel〉がイギリス&ドイツに滞在する』

……というだけで、何だかすごくオシャレでカッコ良い気がするのだが、

それに加えて、現地での生活や日常をドラマティックに撮影して、一本の映画のように仕立て上げているのが実に面白いのだ。

この映像作品では、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉の三人が、活動休止期間中、どのように過ごしていたのかや、

『虹』という楽曲に込められたそれぞれの想いが解き明かされるだけでなく、

目玉焼きを作るhyde氏や、朝食を食べるhyde氏、自転車に乗るhyde氏や、パンを買うhyde氏や、絵筆をとるhyde氏――

――などを見ることができるので、興味のある方は是非視聴してみることをオススメする。

上記動画には収録されていないが、このプログラムには『THE GHOST IN MY ROOM』のレコーディング風景や、hyde氏の入浴シーンもあった。

さて『THE GHOST IN MY ROOM』の歌詞の方へと話を戻すが、

その内容を、多少乱暴にでも解き明かしてみようとすると、どうしても頭の中をよぎってしまうのは、やはりsakura氏の存在だ。

例えば、

〈亡霊に囚われ送る日々〉=〈覚醒剤に溺れ苛まれる日々〉

〈嘘に夢まで取りつかれた〉=〈覚醒剤が見せる幻覚が夢の中にまで現れてくる〉

〈僕に残されたのは君だけ〉=〈sakura氏を癒し、救ってくれるのは覚醒剤しかない〉

〈なぜか戻らない問い掛け〉=〈『君』は覚醒剤が見せている幻影だから、当然問い掛けに対しては返答が無い〉

――というように、各歌詞を解釈することもでき、

多少乱暴ではあるが、『THE GHOST IN MY ROOM』の歌詞がsakura氏のことを歌っているのだという仮定に至るのは、そう不自然なことでもない。

あるいは、

〈亡霊に囚われ送る日々〉=〈sakura氏の幻影に囚われ送る日々〉

〈嘘に夢まで取りつかれた〉=〈夢の中にまでsakura氏が出てくる〉

〈明日へ向かって機械仕掛けの君を連れてゆけたら過去も変わる〉=

〈新メンバーであるyukihiro氏と一緒に未来へと進むことができたなら、一度は汚れてしまったL’Arc〜en〜Cielの過去の歴史だって、塗り替えることができる〉

――というようにも解釈することができ、

『THE GHOST IN MY ROOM』の歌詞が、〈L’Arc〜en〜Ciel〉というバンド、あるいは、

sakura氏の幻影に苛まれるhyde氏の現況を言い得ているのだと、理解することも不可能ではない

(後に始動されるyukihiro氏のソロプロジェクト名が、〈acid android〉であるということから、

〈機械仕掛けの君〉=yukihiro氏であるという解釈の仕方が、自分には何だかしっくり来た。

もちろん当時のyukihiro氏に、〈機械仕掛けの君〉であるということを示唆する要素など一つも無い)。

しかし上記した二通りの解釈は、いちファンである自分の妄想に過ぎず、

実際には、〈L’Arc〜en〜Ciel〉のファンの数だけ、その解釈の仕方が存在すると言って言い過ぎではない。

元々、hyde氏の紡ぐ歌詞には、抽象的で非限定的な物が多く、

何について歌っているかを、明確にしないようにしている節がある。回答を提示せず、その解釈を聴き手に委ねるスタンスを常に取っているのだ。

それは多分、hyde氏が楽曲の耳ざわりを大切にしているだけでなく、そのセールスなども意識して、

広く多くの人の心に響くように、敢えて曖昧な表現や、対象を特定しない表現を用いているのであると同時に、

〈芸術とは、回答を明示せず、受け取り手の感じ方に委ねるべき物である〉

という確固たる思想を持っているからなのだと思う。

いずれにしても、『THE GHOST IN MY ROOM』の歌詞は、

〈閉塞した状況からの打開〉を歌っている物であるのに違いなく、

それは活動休止期間を経て、有り余るほどのエネルギーを内へと充填させた〈L’Arc〜en〜Ciel〉の、

「これからは表へと出て、ガンガン〈L’Arc〜en〜Ciel〉を発信していくぜ!」

という、決意表明の意志が掲げられた物であるのに他ならないのだ。

第12位『Peeping Tom』――9thシングル『DIVE TO BLUE』カップリング曲

第12位の『Peeping Tom』は、9thシングル『DIVE TO BLUE』のカップリング曲で、

第13位の『THE GHOST IN MY ROOM』に引き続き、カップリング曲のランクインとなる。

『THE GHOST IN MY ROOM』同様、hyde氏が作詞作曲を手掛けた『Peeping Tom』は、

初夏の訪れを感じさせるようなあたたかく穏やかなメロディが心地良く、いつまでもその優しい旋律に身を委ねていたくなる。

1998年に行われたライブツアー〈ハートに火を付けろ!〉では披露されていたが、それ以降のライブでは演奏されなくなってしまったようだ。

やはり、同じカップリング曲である『THE GHOST IN MY ROOM』のように、観客の反応が芳しくなかったのだろうか。

さてその歌詞の方へと耳を傾けてみると、

〈君といたい、君と手をつないでいたい〉

と考えているのに、

〈会ってもないのに何だって知ってる、影みたいに地球の果てまでついてくる何者か〉

のせいで心煩わされる主人公の心情が描かれているのがわかる。

 

あした晴れたなら 髪をゆらせて

安らぐまで ラルララ君といよう

季節に誘われて漂いたいのさ

そうだから そうだから

もう少しそっとしといて!

 

――と歌うサビの部分の歌詞は、

まるで、恋人とデートにでも出掛けたいのに、何者かの詮索によってそれができないでいる苛立ちを訴えているかのようだ。

そう、この『Peeping Tom』という楽曲は、

〈のぞき見男〉という意味のタイトルが示す通り、

当時爆発的な人気を獲得しつつあった〈L’Arc〜en〜Ciel〉のメンバーに対する、

写真週刊誌の記者らによる執拗な盗撮や追跡行為にうんざりしたhyde氏が、

その怒りや恐怖した思いを詞にしたためて、彼らへと当てつけたメッセージソングなのだ。

一時期のhyde氏は、どこへ出掛けても、街のそこかしこに記者の存在、

あるいはそのカメラによって盗撮されている気配を感じて、ノイローゼ気味になっていたらしい。

それもそのはず、1996年~1997年頃の〈L’Arc〜en〜Ciel〉は人気急上昇中で、正に〈大ブレイク前夜〉といった向きがあり、

人並外れたルックスとミステリアスな存在感を放つ、ボーカリストでバンドの顔であるhyde氏のプライベート情報についての需要は、これ以上ないくらいにまで高まってきていると言え、

記者たちが躍起になるのも、まあ無理からぬ話ではある。

hyde氏はそんな自身の境遇、平穏な生活を脅かされる恐怖と怒りとを創作へと昇華させて表現し、間接的にではあるが、世に訴えてみせたというわけだ。

 

会ってもないのに何だって知ってる

だまったままでも目覚めの時間も

眠れぬ夜のこともお見通しなんて

 

――と歌っているが、これが真実ならば、いや確かに非常に恐ろしい話である。

1番の、サビに入る前のAメロの最後で、

 

ばかばかしいけど 何て悲劇でしょう

 

――と歌う部分と、2番のAメロの最後、

 

イライラするから雨の音を聞いた

 

――と歌う部分のメロディが、えもいわれぬ哀しみ、そのやるせなさを湛えさせていて、せつなく胸に響く。

しかしこういった経験が、自分たちがいかに注目されているかを客観視することができる眼をメンバーへと備えさせて、

大胆かつ周到な、正に怒濤の如きメディア戦略によって徹底攻勢に出る、1998年の〈L’Arc〜en〜Ciel〉の逞しさと賢(さか)しさを生んだ一端となっているのに違いない。

第11位『真実と幻想と』――6thアルバム『ark』収録

第11位の『真実と幻想と』は、『ray』と共に二枚同時に発売された6thアルバム『ark』の、第9曲目として収録された楽曲だ。

作詞はhyde氏、作曲したのはken氏で、ヒットシングル満載の『ark』において、

非シングル曲として、『Butterfly’s Sleep』と共にアルバムに奥深い味わいを添加させている佳曲である。

まるで歌詞に登場する印象的な表現、

〈運命と欲望を波打つ海に捧げた 入り江に浮かぶ炎〉

みたいに、

静かに、ただゆっくりと、粛々と揺らめき続けるメロディはどこか不穏で、

昏い砂漠の国を放浪し続ける旅人の道行きのように、どこまでも果てが見えない。

歌詞の詳細へと目を向けてみると、hyde氏にしては珍しく、

〈カスバ〉〈ガイタ〉〈ベリーダンス〉と、

具体的でありながらも、どこか幻惑的な雰囲気を醸す固有名詞が並べ立てられて、ただならぬ異国情緒を漂わせている。

その世界観は、砂漠の民の営みを描いて表現したような1stアルバム『DUNE』をも彷彿とさせる。

hyde氏の、目鼻立ちの際立った異国的な顔貌は、

イギリスやフランスといったオシャレなヨーロッパ的世界観に留まらず、砂塵の荒ぶような中東地域の世界観をもよく具現化させるのに適していて、

つくづく表現をするために授けられた肉体・才能なのだなと思い知らされる。

〈カスバ〉は、アルジェリアやモロッコにあって、元々は要塞としての役割を成していた、迷宮のように路地が入り組んだ形態の街のことで、

 

囲まれて迷うカスバ

底なしの夢

 

――と歌っていることから、

夢の中、あるいは幻想の世界から抜け出すことのできない様子を、

元は要塞だったその城壁に取り囲まれた迷宮都市・カスバに迷い込んだことになぞらえて表現しているのだと思う。

〈ガイタ〉というのは、バグパイプのことらしく、

それは地方によってそれぞれに異なった、独自の形状や名称があるらしいのだが、

特にスペインで使われているという〈ガイタ〉という名称の物か、

ブルガリアで使われているという〈ガイダ〉という名称の物の、そのどちらかを指しているのだろう

(歌詞の世界観から鑑みて考察すると、後者の方が適切であるように思う)。

〈ベリーダンス〉は、まあ説明するまでもないと思うが、

煽情的な腰の振り方をするその形態からもわかる通り、〈男女の行為〉を暗喩している。

 

重ね合うベリーダンス

生まれ来た理由

 

――と歌う歌詞からは、

人間はなぜ生まれて来たのか、

何のために生きるのか、

なぜ〈男女の行為〉を繰り返すのか、

なぜ遺伝子を遺そうとするのか、

そこに何の意味があるのか、

ただ自らの快楽のために行っているだけではないのか、

快楽のための行為を、遺伝子を遺すための行為であるなどと、高尚ぶって言い訳しているだけではないのか――

――といった、明確な回答の齎されない疑問、人間が生きていくうえで永遠に向き合い続けなければならない普遍的命題への疑念が込められているのを、読み取ることができる。

〈カスバ〉〈ガイタ〉〈ベリーダンス〉という三つのカタカナ語が、

鮮烈なイメージ、強烈な印象を残すのと同時に、どこか夢の中にいるような、幻惑的な雰囲気をも漂わせ、

聴く者を、正に〈カスバ〉の中へと迷い込ませて、そこを彷徨い歩いているような気持ちにさせるのが、この『真実と幻想と』の魅力であると言えよう。

では『真実と幻想と』が、ただ異国情緒や幻惑感を漂わせて没入させるだけの曲なのかと言うと、そうではない。

この曲には、hyde氏自身の確固とした想いが込められている。

 

肌を刻んで詩人は血で語る

 

――と歌う1番のAメロ、あるいは、

 

この海とこの丘を渡る風に言葉をのせる

それは私の証

真実と幻想と この目に映る全てを

血が枯れ果てるまで歌おう

 

――と歌う、サビの部分の歌詞からもわかる通り、

この『真実と幻想と』は、hyde氏の、

〈作詞家〉としてのスタンス、あるいは〈歌い手〉としての心構えを憚らずに宣言して、表明している曲なのだ。

〈肌を刻んで詩人は血で語る〉という歌詞は、

hyde氏が、自らの骨身を削って――つまり時に血や汗や涙を垂れ流しながら、魂を込めて言葉を紡いでいるということを言い得ているし、

〈この海とこの丘を渡る風に言葉をのせる それは私の証〉という歌詞は、

そうして紡ぎあげた言葉を、風――つまりメロディへと乗せて表現することこそが、自分の存在意義であるのだと主張しているのに他ならない。

そして歌の最後、

〈真実と幻想と この目に映る全てを 血が枯れ果てるまで歌おう〉

という歌詞からは、

真実(現実世界に起こる様々な出来事や、自らを取り巻く環境や、そこで培った経験)と、

幻想(自分の想像力や、独自の感性によって新たに創作された物)とにかかわらず、

自身が感じたこと、感覚したものの一切を、

感性が枯渇するまで、魂の火が消え潰えるその瞬間まで、愚直に表現し続けるよ、

という、

崇高かつ敬虔な、hyde氏の所信表明の意図を汲み取ることができるわけだ。

hyde氏の、自らの〈アーティスト〉としての在り方、その思想を、

異国的・幻惑的なターバンやヴェールで包んで飾り、砂塵の混じる生温い風へと乗せて流したのが、この『真実と幻想と』という楽曲なのである。

第10位『It’s the end』――7thアルバム『ray』収録

第10位の『It’s the end』は、6thアルバムの『ark』と共に同時発売された『ray』の、第2曲目として収録されている。

上記動画は、2015年に行われた〈L’ArCASINO〉での物だが、

個人的には、1999年の〈GRAND CROSS TOUR〉や、

テレビ番組〈ロンドンハーツ〉に出演した際のパフォーマンスの方が、当時の〈L’Arc〜en〜Ciel〉の疾走感を感じられて良いと思っているので、

もしも機会があったなら是非視聴してみて欲しい。

〈L’Arc〜en〜Ciel〉のメンバーに、『ark』と『ray』のどちらをより気に入っているかを尋ねた折、

hyde氏とyukihiro氏が、『ray』の方を選んだというのは有名な話だが、自分も『ray』を推す

(上記の話はテレビ番組内での発言であるのだが、ken氏とtetsuya氏が明言したシーンは放送されなかったと記憶している)。

なんとなくだが、

〈ポップでキャッチ―な『ark』〉、

〈ロックでソリッドな『ray』〉、

といった漠然としたイメージはあるものの、

一曲一曲へと目を向けてみれば、どちらもアルバムも多様な性格の楽曲が、実にバランス良く配されていると思う。

そして『It’s the end』は、

『ray』というアルバムに、硬質かつ尖った雰囲気を纏わせるのに一役買っている、シンプルなロックサウンドがカッコいい、ken氏作曲のキラーチューンだ。

映画のラストシーンの訪れを告げるようなイントロから始まり、

そこで歌われるストーリーは、荒野を行く馬車に揺られ、破滅へと突き進んで憚らないようなバッドエンドを想起させる。

 

さぁ そのトランクに大好きな物を

全部つめ込んだら

ここから降りてそのままあなた

どこかへ消え失せて

 

――と歌う1番の歌詞は、破滅的なストーリーの終局を想起させて秀逸だし、

 

もう溜息しかあげられないよ

からっぽの言葉

意味を知らずに吐き出さないで

致死量を越えたみたい

 

――と、辟易した様子で相手を突き放す2番の歌詞も、ひたすらカッコいい。

確かにこの世界には、無駄に多く喋る人間、

吐き出す言葉に情熱も慈しみも憂いも込めようとはしない人間、

無思慮なくせしてありがたそうな言葉を多用する人間、

人の許容するラインを逸脱して乱暴な言葉を垂れ流す人間などが、多く存在する。

それが〈大衆〉を暗喩しているのか、〈マスコミ〉を暗喩しているのかはわからないが、

hyde氏の、そんな彼らに対して引導を渡すような冷酷な歌詞は小気味よく、実に痛快だ。

間奏部分の、

 

冷たく冷めた引き金を弾いて さよなら

 

――という歌詞も、正に映画のクライマックスシーンを想起させるように印象的で、

引き金を、冷徹に弾き果(おお)すことで、

その破滅的ストーリーは終局を迎えるのだろう。あるいはその銃口は、自身のこめかみへと当てられているのかもしれない。

いずれにしてもその主人公は、

「good luck」と、まるで自嘲気味に、

別れの挨拶を告げることになるのに違いない。

引き金を弾き果した主人公が独り、世界の果てへと向かうのか、はたまた地獄の底へと訪れるのかはわからないが、

その道行きへと連れ添う者は誰も無く、転がる車輪に轢かれてしまってくしゃくしゃになった花束だけが、その道程へとそっと寄り添うのだろう。

自分も、どんな辛い瞬間や絶望的な状況下においても、

転がる車輪に轢かれた花束を、胸ポケットへと飾って誇らしげに歩いてゆくような、

やさしく、遊び心を忘れないで携える人間でありたいと思う。

第9位『Sell my Soul』――7thアルバム『ray』収録

第9位の『Sell my Soul』は、

第10位の『It’s the end』同様、7thアルバム『ray』に収録されている。

作詞・作曲共にhyde氏が手掛けた、

哀しげなメロディが胸を締め付ける、ミディアムテンポのバラードだ。

 

魂を欲しがる悪魔

望まれるがままに

それが天国の道を塞いでも

願いが叶うなら

 

――と歌う1番の歌詞と、タイトルからもわかる通り、

歌詞の主人公は、悪魔に魂を売ろうとしている。

地獄へ堕ちることがわかっていながらそうするのは、〈君〉に会うことを願うからだ。

 

大切な君さらって

遠い街へ行こう

そして何処までも案内しようか

幼い頃のように

目覚めても目覚めても出口の見えない

冬眠を繰り返して

 

――悪魔に魂を売ったことで、彼は〈君〉に会う。

幼い頃と同じように、〈君〉と遠い街へと出掛け、案内したりするが、

そうして過ごすことができるのは、彼が眠り、夢の中にいる間だけの話だ。

 

I always see you in my dream

迷宮でいつものように

透明な翼をはばたかせて

切ない瞳は君を探す

つかの間の夢に漂う

 

それでも彼は、毎夜、夢の中で〈君〉の姿を探す。

出口のない迷宮の中で二人は出会い、逢引するのだ。

それが束の間の夢の中でだけ叶えられる儚い願いなのだと、理解してはいても。

 

I always see you in my dream

僕は逆さに堕ちて

儚い眠りからさめても

あの日のように

君がそばにいてくれたら

 

最後、主人公は遂に地獄へと堕ちる。悪魔に魂を売った代償だ。

儚い眠りから覚め、迎えられる残酷な世界で、

あの日のように、もしも〈君〉がそばにいてくれたなら、どんなに幸せだろうかと希(こいねが)うが、その願いはもう、二度とは叶えられない――

第8位『TIME SLIP』――8thアルバム『REAL』収録

第8位の『TIME SLIP』は、8thアルバムである『REAL』の、第9曲目として収録されている。

作曲したのはken氏で、

そのどこか寂しげながら、やさしく穏やかに心の襞を撫ぜて歩むようなメロディは心地良く、いつまでも身を委ねていたくなる。

ハードロック的アプローチの成された楽曲群で占められる『REAL』においては、平穏な心持ちで耳を傾けていられる数少ない楽曲の内の一つで、

一服の清涼剤のような存在感すら湛えさせている。

歌詞は、hyde氏が旧友と再会した折に感じたことをしたためた物だという。

 

もうどれくらい君と笑ってないかな

離ればなれは距離だけじゃない

気付かないふりしてるけど遊び方を

忘れてしまったのさ

 

――と歌われる1番の歌詞は、経過する時の流れの速さの残酷を思い知らせ、切なく胸を締め付ける。

かつて親しくしていた者と再会した時、あまりの時間の経過ぶりに、罪悪感にも似た気まずさを覚えて言葉を失い、

なんだかやるせなくなるというのは、なにもhyde氏だけではない、きっと大人になった誰もが経験する可能性のあることだろう。

 

Running through without your help

Running through without your vibes

それでもうでを伸ばして

ささやかな夢を僕らは辿ってゆく

 

――という2番の歌詞では、

あなたがいなくても、僕はここまで立派に務め上げて来たし、きっとこれからも、僕らはそうしてそれぞれに生き歩んでいくんだね――

――という、逞しさを感じさせながらもどこか哀しい、現実世界での実情が歌われている。

人間は結局、どこまで行ってもみな独りなのだ。誰かと繋がっているように見えても、究極的には、自分一人で生きていくしかない。

 

Passing by passing by real world

淡い炎を絶やさぬよう

Passing by passing by sweet times

今日も明日へ向かおう

 

――幼かった頃に過ごした時間、あなたといた季節、輝かしい日々――は、無情にも過ぎ去ってゆく。

それでも、心に燻らせている大切な想い――誰かを愛する気持ちや、夢を叶えようとする情熱の炎を灯させて、毎日を一歩ずつ、愚直に、生きて歩もう――

――という、現実と折り合いを付けて生きてゆくしかない、年齢を重ねて大人になってしまった者の虚無感と、

しかし未来を見据えて躊躇わない逞しさとが、やさしく、穏やかに表現されていて、心温まるだけでなく、

例え華々しい毎日でなくとも、遅々とした歩みであったとしても、前へと向かって進んでいかなくてはならないなと、静かながらに鼓舞され、勇気をもらえる。

第7位『叙情詩』――10thアルバム『AWAKE』収録

第7位の『叙情詩』は、10thアルバム『AWAKE』の、第3曲目として収録されている。

作曲したのはken氏で、

〈hyde氏の高音が生きるような楽曲を〉

といった意図で製作された物だったと記憶している。

『叙情詩』がリリースされるとの情報を得て、当時の自分が先ず驚いたのは、そのタイトルだ。

〈叙情詩〉という言葉は、

〈作り手の、様々な想いや感情を表現してしたためた詩〉

といった意味を持つ〈普通名詞〉であり、〈固有名詞〉ではない。

ミュージシャンの創る楽曲が、

〈作り手の、様々な想いや感情を表現してしたためた詩〉

であるのは当たり前であり、すべての楽曲は、ある種の〈叙情詩〉であると言える。

だのに、hyde氏はこの楽曲に、敢えて、そのまま『叙情詩』というタイトルを付与した。

これは、愛を歌った歌に『ラブソング』というタイトルを付けるのや、

亡くなった者の魂を鎮めるための歌に『レクイエム』というタイトルを付けるのと同様の行為である。

つまり、それが何を意味するのかと言うと、

〈作り手の、様々な想いや感情を表現してしたためた詩〉に対して、

ストレートに『叙情詩』というタイトルを付けるのは、

「これこそが〈叙情詩〉である!」

という自信の表れであり、

この楽曲が、hyde氏と、そして〈L’Arc〜en〜Ciel〉にとっても、いかに傑作であるかということを裏付ける、確固たる証左なのだ。

この楽曲に対して、例えば、

『LOVE~』とか、

『愛の~』とか、

陳腐な表現のタイトルを冠してしまったら、途端に安っぽく、俗っぽくなるだろう。

『叙情詩』と、

辞書にも記載があるような普通名詞でもって銘打ってやることにより、

楽曲は、普遍的な性質や、神話的な厳格ささえも伴わせて、格段に格式高い物へと昇華させられたわけだ。

そしてもし、

『叙情詩』とは大仰なタイトルだな、随分と物々しいタイトルの楽曲だな、

と、訝しく考える者がいたとしても、

楽曲を一聴したならば、その考えは覆るだろう。

hyde氏の高音が生かされ、そして気持ちよく歌えるようにと、ken氏によって創出されたメロディは美しく麗しく、

あらゆる生命へと萌芽の瞬間を告げる初春の微風のように、どこまでもあたたかく、やわらかい。

そしてその、地球上の生命を賛美して、すべての萌え出づる息吹を束ねたようなメロディへと、hyde氏の美声が重ねられ、聖らかに愛が語られる。

それはhyde氏にとって何物にも代え難い、唯一無二とも言える感情――

――宇宙でたった一人の、想い人へと捧げられるためにしたためられた愛の告白と、その敬虔の表明――正に『叙情詩』なのである。

野暮な事は言いたくないが、この『叙情詩』の歌詞が、誰を想ってしたためられたものかは、容易に想像ができるだろう。

 

季節は色を変えて幾度巡ろうとも

この気持ちは枯れない花のように揺らめいて

君を想う

 

――と、冒頭で歌われている通り、

それはもう〈永遠〉という地位を手にして、存在させられている。

 

奏で合う言葉は心地良い旋律

君が傍にいるだけでいい

微笑んだ瞳を失くさない為なら

たとえ星の瞬きが見えない夜も

 

降り注ぐ木漏れ日のように君を包む

それは僕の強く変わらぬ誓い

夢なら夢のままでかまわない

愛する輝きに溢れ明日へ向かう喜びは

真実だから

 

――という歌詞は、

『AWAKE』制作期において、〈無償の愛〉に目覚めたことを吐露しているhyde氏の心情――その境地を、如実に体現して表している。

そしてこの『叙情詩』を、一層素晴らしく普遍的傑作へと仕立て上げているのが、ミュージックビデオだ。

〈L’Arc〜en〜Ciel〉のメンバーが、宗教画の中へと迷い込んで、

その絵画の中の人物たちと共に戯れ、営む光景は神々しく、極めて芸術性の高い映像表現として仕上がっている。

こればかりは自分の稚拙な筆致でいくら説明しても伝えきれる物ではないので、是非DVDなどを購入して視聴してみて欲しい。

このように、

ken氏の創出した美しいメロディ、

hyde氏が詞にしたためた崇高な想い、無償の愛、

極めて高い芸術性で仕立て上げられたミュージックビデオ――

――といったひとつひとつ、そのすべてが、奇跡的とも言える融合を果たし、

それが『叙情詩』を、〈叙情詩〉たらしめ、

〈L’Arc〜en〜Ciel〉史上最高傑作との呼び声もある名曲を誕生させたのだ。

……さて、随分と長くなってしまったので、一旦ここで区切りを付けたいと思う。

ランキングの後半が気になった人は、

〈L’Arc〜en〜Cielの神曲たち――ラルクアンシエルの名曲ランキングベスト13・後編〉

の方にも目を通していただければ幸いだ。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です