良い小説を長く書き続けるのに一番大切なこと――心身共に健康でいよう




良い小説を書き続けるのに必要なこと、あるいは、

小説を長きに渡って書き続けるのに、一番大切なことは、

心身共に健康であり続けることである。

心身共に健康的であることが、良い小説を長く書き続けるのに一番大切なこと

身体の状態が健やかであること、

そして心の状態が健やかであること、

この二つが揃って、初めて良い小説を書けるのではないかと考える。

もちろん、著名な作家の多くがそうであったように、身体を病魔に蝕まれながら、心をも壊しながら書かれた作品の中にも、素晴らしいものがあるだろう。

例えば、身体を壊しながらでも、〈面白い物語を書くんだ〉、というその一心で書かれた文章には魂が籠って、

むしろ健康的な者が書いた作品よりも面白い物になっているということがあるに違いない。

しかし、そういった状態で小説を書き続けることは、酷く精神を摩耗させるだろうし、長くは続けられないのだと思う。

多分、一作品か二作品書き上げたら、燃え尽きて灰だけが残ったような状態になってしまうのではないか。

何より、それが原因で死んでしまったりするのは、実にもったいない。

それが、面白い作品を書くことのできる作家であるならば、尚更である。



小説を書くのに、命を賭けたりなんかしなくて良い――小説を書くことは、〈健やか〉に〈生きる〉ための行為だ

下記の記事でも少し触れたが、執筆活動に従事するのに、命を賭けたりしなくていい。

健康を損ねてまで、命を刹那的に燃焼させてまで、執筆活動に従事するというのは、

確かに、とても美しいことだし、作家としてはそうあるべきなのかもしれないが、少なくとも自分はイヤだ。

文章を書くこと、小説を書くことが好きではあっても、そのことで健康を損ねさせたくはないし、ましてや死んだりしたくない。

文章を書くこと、小説を書くことが好きであるからこそ、それを長く続けたいと思うし、心身共に健康的な状態で、それと向き合っていきたいのだ。

何より、〈小説を書く〉という行為は、むしろ、〈生きる〉ために遂行させられるべきである。

〈死ぬ〉ために遂行させられるべき行為ではない。

〈生きる〉ためというのは、

〈それを仕事にして生活費用を稼ぐ〉といった意味で捉えてもらっても良いし、

〈小説を書くことで健全な精神を養って、健やかな心の状態の下に人生を生き営む〉という意味に捉えてもらっても良い。

いや、小説を書くことは、あるいは〈死ぬ〉ため、

〈死ぬ〉ことを準備するため、

〈健やか〉に、〈死ぬ〉ため、にあるべき行為なのかもしれないが、

それは翻(ひるがえ)って、

〈生きる〉ために、あるべき行為であるということである。

〈健やか〉に〈死ぬ〉ために、〈健やか〉に〈生きる〉ということが必要なのだ。

【〈健やか〉に〈死ぬ〉ために、〈健やか〉に〈生きる〉】ための行為として、小説を書くということがあるのだと思う。

何だかとてもわかりにくくなってしまったが、とにかく、小説を書くという行為は、人間を健やかにさせる物としてあるべきだと言いたいわけだ。

小説を書くという行為が、人間を殺す物として認知されてしまうのは残念に思うから、だから小説を書く者――物書き諸氏には、長く健康的であって欲しいのだ。

『健全なる精神は健全なる身体に宿る』という言葉が、現代のように誤用されるのは無理もない

小説を書くという行為は、確かに、心はともかくとして、身体の健康を損ねさせる一面を、確かに持っているのだと思う。

何しろ、ろくに身体も動かさずに、独り部屋に籠って思考することへと没入するわけだ。

そもそもにして小説とは、懊悩が父で煩悶が母みたいなものである。

頭の中はフル稼働させて目一杯動かしてはいても、身体の方はと言えば、ほとんど微動だにせずとも、それを遂行することはできるわけだ。

これでは確かに身体の健康は損ねやすい。

『健全なる精神は健全なる身体に宿る』という言葉があるが、この言葉は本来、

〈神に祈る時には、慎ましく、健やかな身体と健やかな魂だけを願うべきである〉、

つまり、〈地位や名誉といった他の様々な願望を所望して祈るべきではない〉、

といった意味であるらしい。

不健全な精神だって健全な肉体に宿りたいのだ

 

それが、現代の我々の多くが誤解している、

〈健全な精神を養うためには、健全な身体を保持しなければならない〉

つまり、〈健康的な肉体を保持することが、健康的な心を保つことに繋がる〉

といったような意味に歪曲されて伝わっているのは、

〈身体が不健康的だと、何だか心も不健康になるよね〉、

〈身体が疲れていたりだるかったりすると、心まで滅入って塞ぎ込むよね〉、

といった実感を、多くの人が持っているからこそなのではないかと思う。

その実感は見当違いの物ではなくて、確かにそういうことはあるのだ。

例えば、

食べ過ぎてしまって身体が重く感じると、何だかすべてのことが億劫になって、パソコンを開くのさえ面倒に思う、

脚にケガをしてしまって、執筆するのには直接関係は無くても、その部分の疼きが気になって作業する気が起きない、

といったような経験がある者もいるのではないか。

もちろん、そんなものは心の弱い者の言う言い訳だと、切り捨ててしまうこともできるが、いずれにしても、身体が健康的であるのに越したことは無い。

それくらい、心と身体とは密接に関わり合って、相互に作用し合っているのだと実感することができるわけだ。

だから体調が悪ければ、それが執筆する際の心理状態へと反映されて、書く文章をつまらない物にさせてしまうということがあるだろうし、

ケガをしていたなら、それが影響して、書く文章に誤字や言葉の誤用を乱発させたりすることがあるのだろう。

そうならないためにも、身体を健康的に保つことに留意しよう、

良い小説を長きに渡って書き続けるためにも、健やかに生き営むことを心掛けようと、提案しているわけだ。



日常の中のちょっとした心掛けで、心と身体とを健康的にすることはできる

心と身体とを健康的に保つのに、何もヨガや瞑想に何時間も費やしたり、ジムに通って激しい筋トレをしたりしなくとも良い。

いや、例えば、

小説ばかり書いているとどうしても太ってしまって、他の誰かの協力を得ないと、自分一人ではどうしても健康的な身体を維持することができない、

というのであれば、下記のようなトレーニングプログラムを利用してみるのも手立ての一つではあると思う。

ダイエットが続かない方へ/人生を変えるマンツーマントレーニング

 

しかし本来であれば、ほとんどの人は、ただちょっとだけ、〈健やかに生きる〉という意識を持って毎日を過ごすことができれば、それで良いのだ。

例えば、身体の健康を保つという観点で言うと、

早起きをして、朝日を浴びることをしてみたり、

バランスの良い食事を摂ることを心掛けたり(実際、自分はできていないが)、

少しの運動や、ストレッチなどを習慣にしてみたりするだけで、随分と変わってくるのだと思う。

下記記事にて紹介したが、個人的には、〈歩く〉ということを推奨したい。

〈歩く〉ことは、身体の健康を保持させるばかりでなく、よいアイディアや、インスピレーションをもたらしてくれることもあるのでオススメだ。

心の健康に気を掛けるといった意味で言えば、

まとまった休みを取って旅行に出掛けてみるとか、

家族や、親しい間柄の友人に優しく接するとか、

イヤなヤツ、つまらないヤツとは付き合わないようにするとか、

そんなことが挙げられるだろう。

バカとつき合うな

 

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法

 

どんなことでも良いので、各々の生活スタイルに合ったやり方を見つけて、心と身体とが健康的であるように心掛けてみてはいかがだろうか。

健やかに生きるために小説を書き、小説を書くために健やかに生きよう

すべての物書き諸氏が、少しでも良い作品を書くために、少しでも長く小説を書き続けるために、心身共に、健康的であって欲しいと思う。

心身共に健康的な作家が増えるということ、それはすなわち、

良い作品、面白い小説が世に生まれ出る機会が増えるということである。

そういう風にして生まれ出た良い作品へと触れる者が増えてゆけば、触れた者の心や身体の状態さえも健やかになるに違いない。

良い作品が増えて、世に多く溢れ出れば、それに伴って健やかになる者も増えてゆくわけだ。第一に作家が健康的であることで、好循環が生まれるわけである。

だから、繰り返しにはなるが、物書き諸氏にこそ、健康的であって欲しい。

小説を書く者こそが、健康的でいる資格があるのだ。

小説を書く者を蔑ろにして、むしろ不健康にさせている、業界の現状にこそ問題があるのだと、憂わずにはいられない。

作家を志す者や、小説を書くことを生業にして生きる者が、もっと正当に、育成させられたり、評価されたり、厚く処遇されたりして、

それだけで、確かに十分だと言える生活が送れるような社会になることを、強く願わずにはいられない。



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