クリスマスだからこそ小説を書こう




「クリスマスだからこそ小説を書こう!」

そんなことを言うと「バカなのか?」とか、「寂しいヤツなのか?」とか思われそうだが、いやそれは確かに間違いではないのだけれども、それでも声高にそう提案せずにはいられない。

クリスマスに小説を書けるのは、一年に一度しか無い!(当たり前だが)

なんたってクリスマスである。

一年に一度しかない聖なる夜だ。何が〈聖なる〉なのかよくわからないが。

クリスマスと言うとどうしても〈恋人同士で過ごす日〉みたいな強迫観念があるし、例え恋人がいなかったとしても、仲間内でパーティーをするのが必然みたいな風潮があるが、そんな時だからこそ独り部屋へと籠り小説を書くのである!

チキンもケーキもいらない。

ウン十ウン年もの長い間ただ慎ましやかに粛々と暮らしてきたというのに、サンタクロースだって来やしないだろう。

まあウチには煙突もないし、靴下も穴の開いた物ばかりだが。いい大人だというのに、サンタクロースの来訪を待ち侘びることが浅ましいのか。

なにしろこんな日に小説を書けるのは、滅多にないことなのである。このチャンスを逸するわけにはいかない。

街を彩るイルミネーションや、楽しげに寄り添い合うカップルを横目に小説を書くのである。

妬んでいるわけではない。いや、そもそもにしてロクに街に出てもいないのでそれらを目にする機会さえない。

大切なのは、〈今世間ではクリスマスという名の祭りが催され、人々の多くがそれを祝ったり楽しんだりしている〉――そう心の隅に留め置きながら小説を書くことである。

そんなこと全く気にはならない、羨ましくもない、という様子で飄々と書くのも良いし、ギリリと歯を食い縛りながら粗暴にキーボードをタイプして書くのも良いだろう。スタンスは各人に任せる。

多くの人が自分とは違う世界にいる、異なった時間の流れを過ごしている――そう思いながら書くことが肝要なのだ。

自分だけが己と向き合っている、世界とその真実へ肉薄するために懊悩していると、誇りながら書くのだ。

そういう風に感覚しながら書いたものは、きっと良い作品になるに違いない。孤高が感性を研ぎ澄まして、文章に鋭敏さや豊饒を添加させるだろう。



クリスマスだから、特別な日だからと言って、習慣を変えるな

実を言えば、別にクリスマスでなくとも良い。

正月でも、海の日でも、勤労感謝の日でも良いのだ。

人が小説など書いていられないという時に、自分だけは書くことを辞めないことに意味が付与されるのだ。

誰も小説など書いていられないという時に独り小説を書くことは、その者にとっての財産になる。

いつもと変わらない時間に、変わらない態度、変わらない熱量で、小説を書くという行為へ向き合い続けることは、その者を真実へと肉薄させるだろう。敬虔が感性や精神を研ぎ澄ませて裏切らないだろう。

別にチキンを貪りながら書いても、ケーキの生クリームでキーボードを汚しながら書いても良いのだ。それで良い物が書けるのならば。

しかし圧倒的に、特別な日だからと言って特別なことはせず、いつも通りの変わらぬやり方で自らの使命へと向き合う方が、パフォーマンスは良い成果を見せるだろう。

もっと言ってしまえば、単純に、小説を書くことの方が誰かと共に過ごしたり騒いだりすることよりも魅力的なのだ。

クリスマスに行うとされている慣習の価値が、小説を書くという普遍的な行為の尊さに勝って覆ることなどないのだ。

独りでいるのを恥じるな。胸を張って小説に打ち込め

だからもし、クリスマスには誰とも会わずに独り小説を書くんだという者がいたとしても、何ら恥じることは無い。

その孤高や敬虔は、きっとあなたの書くものを研ぎ澄ませて輝かせるだろう。

だからクリスマスの日こそいつも通り振る舞うべきである。

得られるものは大きいに違いないから、クリスマスだからこそ、特別な日だからこそ、小説を書こうじゃないか。

小説を書き、考え、悩み苦しんだ後で、もしどうしてもお腹が空いてしまっていたら、自分へのご褒美として、コンビニのクリスマスケーキを買ってやれば良いのだ。

そうして食べるコンビニのクリスマスケーキは、きっと他のみなが食べるものよりもいっそう美味しく感じられて、あなたの心へと染み渡るに違いない。



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