ゲームセンターは殺し合いの場所――対戦型格闘ゲームと非日常の空間




ゲームセンターとは、いきなり何を言い出すかと思うだろう。

また、殺し合いとは物騒だなと、眉を顰めるかもしれない。

実は以前下記の記事にて、自分の好きだったテレビゲーム――〈ファイナルファンタジー〉のことについて書き及んだ。

執筆時、その他のゲームにまつわることについても色々と思い起こされたので、ついでにと言っては何だが、それについても書き記しておこうと思ったのだ。

一見してみると小説を書くことにはまるで関係が無さそうだが、まあ騙されたと思って、暇潰しにでも目を通していって欲しい。

対戦型格闘ゲームの誕生――ストリートファイターⅡという衝撃

自分は〈ファイナルファンタジー〉や〈ロマンシングサガ〉といったRPGが好きで、よく熱中してプレイしていたが、対戦型格闘ゲームも同じくらい好きだった。

ロマンシング サ・ガ

 

ロマンシング サ・ガ2

 

ロマンシング サ・ガ3

 

ちょうど小学生の頃に『ストリートファイターⅡ』がスーパーファミコンで発売されて、対戦型格闘ゲームの一大ブームを巻き起こしたのだ。

ストリートファイター2

 

『ストリートファイターⅡ』の楽しさは衝撃的だった。

特定のコマンドを入力して必殺技を出す感覚、

技を相手に当てた時に派手な打撃音が鳴ったり、相手キャラクターが盛大にのけぞったりする気持ち良さ、

あるいは相手に技をガードさせた時のえもいわれぬ心地良さ――そういったすべてが新鮮で、それまでのゲームには無い爽快感のある操作感を、プレイする者へともたらしてくれたのだ。

そして何より、〈対戦型格闘ゲーム〉であるということが、『ストリートファイターⅡ』の面白さをより際立てていた。

〈対戦型格闘ゲーム〉とは、複数のプレイヤーが同時にプレイし、戦うことができるタイプのゲームを指して言うジャンルのことだ。

つまり友達同士で戦い合い、その勝敗を競うことができるのだ。

コンピューターを相手に、一人黙々とプレイしていくのもそれはそれで楽しいのだが、やはり生身の人間と対峙して戦う方が、その楽しさは倍増する。

自分自身の操作技術の上手い下手やコマンド入力の精度といったもののみならず、

相手との心理的駆け引きや、キャラクター同士の相性など、様々な要因が絡み合い、その勝敗へと影響して帰趨するわけだ。

ゲームセンターへ行くようになるのに、そう長い時間は掛からなかった

『ストリートファイターⅡ』は元々アーケードゲームだった。

アーケードゲームとは家庭用として遊ぶものでなく、ゲームセンターや遊園地などに設置されて遊ばれるタイプのゲームのことだ。

『ストリートファイターⅡ』はアーケードゲームとしての人気が高かったため、家庭用ゲーム機――スーパーファミコンのソフトとして移植されたということになる。

つまり『ストリートファイターⅡ』の楽しさの真骨頂は、アーケード版の方にあるわけだ。

スーパーファミコン版の方は、あくまでコピー品――劣化を多分に孕んだ焼き直し版に過ぎない(実際、アーケード版とスーパーファミコン版では、相違点が多くある)。

そういう風な考えを持つに至った小学生の頃の自分が、アーケード版の『ストリートファイターⅡ』をプレイしたいと思うようになるのに、そう長い時間は掛からなかった。

当時、アーケードゲームはゲームセンターや遊園地のみならず、おもちゃ屋や駄菓子屋の軒先にも置かれていた。

現在でも、下町の方や古き良き駄菓子屋などの軒先にはアーケードゲームの筐体が設置されて、子供達から親しまれているというところがあるだろう。

自分の住んでいた地域にもそういった場所がいくつもあって、そこでアーケード版の『ストリートファイターⅡ』をプレイして遊んでみたわけだ。

元々ヘタクソだった上に、スーパーファミコン版とアーケード版では操作機器が異なっていたから、思い通りに動かせず、直ぐに負けてしまったことをよく憶えている。

それでも下手のモノ好きで、たまになけなしの小銭を握りしめ、

おもちゃ屋や駄菓子屋やゲームセンターへと出掛けては『ストリートファイターⅡ』の筐体を見つけて、一回か二回だけプレイし、直ぐに負けて帰って来るなんていうことを繰り返したりしていた。

後に自分がゲームセンターへ通い詰めるようになる下地が、この頃に形成させられていたのだということがわかる。



大人になったことで、制限なく対戦型格闘ゲームに熱中できる環境が成立する

1990年代、『ストリートファイターⅡ』の爆発的人気を受けて、雨後の筍のように無数の対戦型格闘ゲームが発売された。

雨後の筍と言うと粗製濫造みたいな言い方になってしまうが、名作や、後の人気シリーズになるような作品も、この時代に多く誕生したのだ。

ヴァンパイア リザレクション – PS3

 

エックスメン チルドレン オブ ジ アトム

 

ストリートファイターゼロ ファイターズ ジェネレーション Best Price

 

餓狼伝説 スペシャル NG 【NEOGEO】

 

真サムライ スピリッツ NG 【NEOGEO】

 

THE KING OF FIGHTERS ’94 RE-BOUT(通常版)

 

自分も、家庭用ゲーム機でそれらが発売されれば購入したりしていたし、たまにだがゲームセンターへと出向いてプレイしたりすることもあった。

しかしこの頃の自分にとってはまだ、〈ゲームセンターは不良の溜まり場で、入りづらい場所、居心地の悪い場所である〉という認識が強くあったし、

アーケード版と家庭用ゲーム機版では操作機器が異なることから、思うように楽しめないと感じていて、だからそこへと頻繁に訪れることはなかったのだ。

元々下手のモノ好きで、ゲームセンターでプレイしても直ぐに負けて帰って来るわけだ。

プレイ料金の五十円か百円かがもったいないと思って、プレイするのを控えるようになるのも無理はないだろう。

しかし年月を経て大人になり、少しの小銭を手にすることができるようになった頃合いの自分に、長らく自由に過ごすことができる余暇の期間が訪れる。

上気の記事にて少し触れた、〈ろくに働きもせずにふらふらしていた時期〉が訪れたのである。

上気記事中にも書いたが、この頃の自分は本当に自由に過ごしていて、その日の予定をその日に決め、好きなように生きていた。

時間も無駄に余っていて、だから当時の自分が、

〈ゲームセンターへ行って、子供の頃には思うように遊べなかったアーケードゲームを目一杯遊んでみよう!〉、

という考えに思い至るのは、至極自然な流れだったように思う。

対戦型格闘ゲームで、初めて〈勝ちたい〉と思った

膨大な時間と、少しの小銭とを手にすることができていた当時の自分が、最初に手を出したのは、『CAPCOM VS SNK』という対戦型格闘ゲームだった。

カプコンVS SNK ミレニアムファイト2000

 

説明すると、〈CAPCOM〉というのはあの『ストリートファイターⅡ』を創り出したゲーム会社で、

〈SNK〉というのは『餓狼伝説SPECIAL』や『真SAMURAI SPIRITS』を製作したゲーム会社である。

『CAPCOM VS SNK』は、両社のこれまでの対戦型格闘ゲームに登場してきた人気キャラクターたちが、一堂に会して戦うクロスオーバー作品で、当時としてはかなり衝撃的だった。

〈CAPCOM〉社と〈SNK〉社は共に対戦型格闘ゲームの創成期を築き上げて来た竜虎のような存在だったから、自分はどちらの社の作品も好きだったし、

魅力的なキャラクターも数多く使用することができたため、これはプレイせずにはいられないと思ったのだ。

久々にゲームセンターへと出向き、『CAPCOM VS SNK』をプレイする。

大人になっていたからか、昔より少しは、家庭用ゲーム機とは異なるアーケード筐体の操作機器――アーケードスティックに慣れてはいたが、

それでもやはり完全に思うようには動かせずに、負けてばかりだった。

子供の頃よりは当然、資金に余裕があったので、何度も投入して対戦を挑んだりしたが、それでも勝つことができたのは、片手で数えることができるくらいだったと思う。

そしてこの時、子供の頃はただ必殺技を出すだけで、ただ対戦型格闘ゲームへと興じるだけで満足していた自分が、

負けることによって悔しさを覚えているということを自覚し始めていた。

自分の中に、〈対戦型格闘ゲームで、勝ちたい〉という思いが芽生えていたのだ。

そう感覚したのが良いことだったか悪いことだったかは果たしてわからないが、

いずれにしても、この頃から、〈勝つ〉ことが、対戦型格闘ゲームをプレイする上での目標になってきていた。



勝つことを目標に、対戦型格闘ゲームへと取り組むようになる

そう自覚してからの自分は、対戦型格闘ゲームに対する取り組み方が少し変わった。

攻略本やゲーム雑誌の記事を読んで、勝つための知識を貪欲に取り入れたり、技の出し方の練習をして操作技術の向上を図ったりした。

そのどれもが、対戦型格闘ゲームで勝つ上では当たり前にしなくてはならないことだったわけだが、

子供の頃の自分はというと、そんなことを考えもせずに無邪気に遊んでいただけだったのだから、負けてばかりいたのも当然というわけだ。

プロゲーマーの先駆者として知られる梅原大吾さんは、この辺り凡人である自分とは全く違って、

恐らくは子供の頃から、思考すること繰り返しながら対戦型格闘ゲームへと向き合っていたのだと思う。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

そんな風なことを考えながら相変わらずふらふらと過ごしている内、『CAPCOM VS SNK』の続編、『CAPCOM VS SNK2』が発売されたのだ。

CAPCOM VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001

 

これに自分は大いにハマった。

総勢五十名近い個性豊かなキャラクター、グルーヴと呼ばれる六つの戦闘スタイルから好きな一つを選ぶことができるシステム、

チーム内のそれぞれのキャラクターへ、強さの数値を自由に振り分けることができるフリーレシオ制など、

前作から大幅にブラッシュアップされて、より楽しく遊びやすいものへと進化が遂げられていたのだ。

自分はこれに没頭し、そして〈勝つ〉ことを目標にして取り組み始めた。

勝つための知識を取り入れること、操作技術を向上させることはもちろん、

対戦経験を重ねることこそが重要であると考え、出掛けた先の様々な地でゲームセンターを探し、『CAPCOM VS SNK2』の対戦台を見つけては小銭を投入した。

地元のゲームセンターはもちろん、秋葉原に新宿に池袋、下北沢に吉祥寺、中野に御茶ノ水に御徒町に神楽坂――そこにゲームセンターが営業していれば入店したし、

『CAPCOM VS SNK2』が置かれていたならば、所構わずに乱入して見ず知らずの相手へと対戦を挑んだ。

そんなことを繰り返していく内、下手のモノ好きであったはずの自分も、わずかばかりではあるが上達が見られるようになってきていた。

『CAPCOM VS SNK2』においては、対戦で勝利する機会も増え、それでも上級者には全く歯が立たなかったが、調子が良い時には十数連勝できたことさえあった。

ちなみに、十数連勝というのは大した数字ではなくて、上手いプレーヤーになると50連勝とか100連勝とかいうのはザラに起こり得る。

プロゲーマーである梅原大吾さんの伝説的連勝記録は、『ヴァンパイアハンター』における286連勝だ。

しかもこの記録的数字は、ゲームセンターの閉店時間が迫ったことによって打ち止めにされてしまったものであり、

その他にも、強キックのボタンが壊れて効かなくなっていた筐体で50連勝したとか、衝撃的なエピソードを挙げれば枚挙に暇(いとま)がない。

ウメハラ FIGHTING GAMERS! (1) (角川コミックス・エース 488-1)

 

ゲームセンターは殺し合いの場所――非日常を享受して楽しめ

『CAPCOM VS SNK2』において、勝利することができるようになっていた自分だが、それへと向き合う際の心理状態は、少し平常時とは趣を異にしていた。

ゲームセンターに赴いて見ず知らずの者に対戦を挑む時、自分は、〈これは殺し合いだ〉と思って、小銭を投入していたのだ。

ゲームセンターへ入るのにも、〈この自動扉を抜けた先が戦場だぞ〉、と思って入店するようにしていた。

何をバカなことを笑うかもしれないが、そういった心構えは非日常を演出し、殺伐とした空気を己へと纏わせて、そこに異空間を作り上げた。

日常から非日常へと橋渡しをする階(きざはし)として機能させるための心構えだった。

いや、わざわざそういった心構えを調(ととの)えなくとも、

元々ゲームセンターという場所にはどこか殺伐とした、一種異様な空気が流れてわだかまっているのを感じることができるだろう。

子供の頃に考えていた、〈ゲームセンターは不良の溜まり場で入りづらい所、居心地の悪い場所〉という認識は、あながち間違ってもいなく、

大人になってからも、そこはやはり自分にとって十分に入りづらい場所であり、居心地の良くない異次元のような空間だった。

負かした対戦相手が、怒りに任せて裏側からゲーム筐体を蹴飛ばして来たり、狭いフロアにおいて少し肩がぶつかっただけで因縁を付けられたり、

酷い時には一方的に殴られたりしたことも、一度や二度じゃ済まなかったが、まあそれも今となっては良い思い出だ。

しかしその一種異様な空気、異次元空間としてのシチュエーションこそが、

対戦型格闘ゲームをする上での特殊な心理状態――戦意や殺意にも似たえもいわれぬ衝動を生み出して、日常では得られることのない緊張感をもたらしてくれていたのだろう。

そういったピリリとした空気が感覚を研ぎ澄まさせて、勝利への欲求を喚起させ、それを貪欲に渇望させるのに一役買っていたのだと思う。

だから自分がわずかばかりでも勝利できるようになってきていたのは、そんな心構えでゲームへと向かい合っていたおかげなのだと思う。

考えてもみて欲しい。日常生活の中で、こんなにも勝利することを欲して真剣勝負に臨むことなどそうそうない。

日常生活においては、意識的に設けたり足を突っ込んだりしないと、非日常の只中へ没入することなどないのではなかろうか。

だから日常の中に、ちょっとした非日常を設けて飛び込むというのは、時に必要なことであるように思う。

仕事でも趣味でも何でも良いが、日常の中おいてに多少の非日常を享受することが良い刺激となり、

創作活動に対する欲求や、表現することへの衝動を生み出したりするのではないだろうか。

例えば、俳優やアイドルやミュージシャンなどの芸能人は、毎日が非日常の連続みたいなものなわけだから、

創作することや表現することへのインスピレーションが湧きやすいのではないかと想像する。

そうやって培われた彼らの豊かな感受性は、例えば演技や歌唱やダンスといったパフォーマンスに現れて、その表現を豊かで瑞々しいものにさせているのではなかろうか。

自分が今取り組んでいるのは小説を書くこと、文章を書くことなわけだが、

一見して無関係に見える、ゲームセンターに通い詰めていた頃の経験――非日常体験が、現在になって大いに役立っていると言うことができるわけだ。

ゲームセンターで遊んでいた頃のことは、誰にとっても良い思い出になるだろう

その後何年かの間、ゲームセンターへと来訪するという自分の趣味は継続させられたが、結局、自分がそれ以上に対戦型格闘ゲームが上手くなることはなかった。

『CAPCOM VS SNK2』の他にも、

『スーパーストリートファイターII X』

『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』

『CAPCOM FIGHTING Jam』

『THE KING OF FIGHTERS XI』

『GUILTY GEAR XX SLASH』など、

いくつかの対戦型格闘ゲームへと取り組んではみたものの、思うように勝ち続けることができるようにはならなかったのである。

スーパーストリートファイター2X 【3DO】

 

ストリートファイターIII 3rd STRIKE Fight for the future カプコレ

 

カプコン ファイティング ジャム

 

SNK BEST COLLECTION ザ・キング・オブ・ファイターズ XI

 

ギルティギア イグゼクス スラッシュ

 

それでも別に後悔はしなかったし、ゲームセンターに通い詰めるということをしてきて良かったと思うことができた。

まともな人生を歩んできたであろう皆々様からすると、

ろくに働きもせず毎日のようにふらふら出歩いて、ゲームセンターに通い詰めていたという自分のエピソードは、ただのロクデナシの与太話としてしか受け止められないかもしれないが、

しかし自分にとっては、やはり、そういった時期は決して無駄な物ではなかったと断言できるし、その時に経験したことや感じたこと、培われた感覚は、

自分の感性の一端を形作って、今も創作活動へと向き合う際に活用されて役立ったりしているのだ。

例えば、

新宿にあった〈モア〉というゲームセンターでは、歌舞伎町に近かったことの影響だろうが、スーツを着こなしたホストだかキャッチだかのにーちゃんがよく対戦型格闘ゲームに興じていて、

暇潰しで来ているのか知らないが、意外にも、そういうにーちゃんがめちゃめちゃ上手くて強かったりするのを驚いて、〈人は見かけによらない〉なと思い知らされたり、

秋葉原のゲームセンターでは、いつも彼氏が対戦型格闘ゲームに熱中しているのを、彼女がその横でしゃがみ込んでひたすら待っているという構図の一組のカップルに出会い、

その二人を、新宿や他のゲームセンターを訪れた時にも見掛けたりして、相変わらず彼女をほったらかしにして彼氏がゲームに興じているのを見て、余計なお世話とは知りつつも二人の将来を案じてみたり、

そんなどうでも良いことの数々が今でも頭の中に残されていて、

それはふとした瞬間に思い起こされては、あたたかい気持ちにさせてくれたり、あるいは創作のインスピレーションとして湧いて活用され、役に立ったりすることがあるのだ。

ゲームセンターに通い詰めていた頃の経験が、自分の心や人生を豊かにさせてくれていると言えることができるのである。

近年、経営状況の悪化などから、ゲームセンター業界は縮小・衰退の一途を辿っている。

そんな逆風のさなか、海外のファンなどから〈伝説のゲームセンター〉と称えられ親しまれている高田馬場の〈ゲームセンター・ミカド〉が、

池袋にも進出して支店を出したというニュースは、青春時代をアーケードゲームに興じて過ごした者にとっては、非常に喜ばしい物として聞き入れられたに違いない。

高田馬場&池袋ゲーセンミカド

ゲームセンターは確かに不健全な側面も持ち得ているが、しかし一方で、刺激的で、とても楽しい場所でもあるのだ。

ゲームセンターで遊んだことのある子供や若い人たちが、大人になった時、

それが友人と共に過ごしたかけがえのない青春のひとつになっていたり、なにか人生で躓いた時に再び立ち上がるためのヒントになったりして、

その思い出がいつまでも心の中に残されて、キラキラと輝き続けていたならば、それはとても素敵なことだと思う。



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